結論

毎日ガールズバーに通い、MCの仕事をこなしていく中で人見知りが改善されていきました。

お笑いコンビ「オードリー」にて、

ピンク色のベストを着て髪型は七三テクノカットのいつも胸を張ってるマッチョな芸人、

春日俊彰さんじゃない方の若林正恭さん。

若林さんといえば、オードリーが有名になった最初のうちは、春日さんの特徴的なキャラが印象的で、

そんな春日さん「じゃない方の芸人」というイメージの強い芸人でした。

現在は、2人とも負けないくらいに有名になりましたが、一方で若林さんはそんなイメージ加えて、極度の人見知りであることも有名ですよね。

2009年、『アメトーーク』という番組にて、自ら「人見知り芸人」という企画をプレゼンした若林さん。

これが見事に採用され、後日有吉弘行さんやバカリズムさんなどと共にこの企画に出演した若林さん。

そこで数々の人見知りエピソードを披露したほか、この時に楽屋の様子を隠し撮りされた結果、

スタッフさんとほとんど雑談できずに、

ペットボトルのラベルを熟読するという衝撃的な姿もカメラに収められました。

それから時が経ち、若林さんもだいぶ人見知りが改善されたのです。

今回は、そんな若林さんの性格の変化の軌跡をご紹介します。

克服のきっかけ

若林さんの人見知りは、お笑い界では割と有名だったようです。

当初は、先輩であるくりぃむしちゅーの上田晋也さんにも、とても気を遣わせていたのだとか。

そんな中で、当初は最初にご紹介した通り、春日さん「じゃない方」という印象が強かったです。

春日さんの強烈なキャラの前に、若林さんはすっかり霞んでしまっていました。

しかしそんな若林さんに、ある転機が訪れ始めました。

それは、MCの仕事のオファーが来るようになったこと。

しかもそれはオードリーにでも、ましてや春日さんに対してでもなく、若林さん個人に来たオファーだったのです。

とはいえ、最初はその人見知りっぷりが災いして、ゲストに踏み込んだ話ができず、うまくいきませんでした。

「もう少し掘ったら面白いのにできない」

「番組の盛り上がるチャンスを自分が潰している」

若林さん自身がMCの仕事をするようになって、

その人見知りっぷりが仕事に支障をきたしていることを痛感し、

本格的に「人見知りを克服しよう」と決心することになったのでした。

克服方法

この動画をご覧になっている視聴者の中にも、以前の若林さんのように人とうまく話すことができない、

人見知りな自分に悩みを抱えている人もいると思います。

なので、どうやって若林さんがどうやって人見知りを克服したのか、その方法が気になる人もいるのではないでしょうか?

若林さんが人見知りを克服するためにやったこと、それは「毎日ガールズバーに通うこと」でした。

若林さんいわく、人見知りが人見知りを直すためには、

「ガールズバーか二丁目のバーしかない」と考えていたとのこと。

ガールズバーとは、普通のバーのようにカウンターの席に座りながら、お酒を出してくれる女性とお話をしたりするお店のことです。

若林さんは人見知りを直すため、毎日ガールズバーに通い、女の子とコミュニケーションを取ることで徐々に人見知りを改善していきました。

彼によるとガールズバーは、女の子との距離感が絶妙なのだとか。

ガールズバーは基本的にカウンター席しかなく、テーブルを挟んで女の子と座るので、女の子と近すぎないところが良いそうです。

お金を払っているため、多少は生意気なことも言えるようになり、ガールズバーは基本的に何十分、

あるいは1時間いくらという時間制であり、40分というタイムリミットがあるため、緊張もしづらいのだとか。

緊張したら女の子とジェンガを通してコミュニケーションしていき、少しずつリハビリしていったそうです。


若林さんも男性のため、人並みに女性は好きであるものの、

人見知りであるが故に女性と話すのは特に苦手でありましたが、

あえて女性と話す場であるガールズバーに通っていったのです。

克服方法がガールズバーというのはなんとも芸人らしいですが、今のご時世ではなかなかこの方法は難しいかもしれませんね。

また、人見知りを克服しなければと思うきっかけになったMCの仕事でも、コミュニケーション能力を鍛えられたそうです。

若林さんいわく、

「MCをやっておばさんタレントとかの懐に入るのを毎日やってきたから、そりゃあ人見知りも直るよね」

とのこと。

『セブンルール』という番組にて、若林さん本人が語っていたのですが、

年配のタレントに気に入られるように振る舞ってきたことで、

次第に人見知りが改善されていったと自己分析していました。

確かにMCの仕事は、色々なタレントとコミュニケーションを取っていく必要があるので、人見知りなどと言っていられないでしょう。

ガールズバーでの日々の特訓と仕事の中で、若林さんが努力を積み重ねてきたことによって、その性格も改善していったようです。

年配の人の懐に入り込むスキル、というのは意識した方が良いのかもしれません。

克服の証拠

若林さんが人見知り芸人として脚光(?)を浴びたのは、2009年のこと。

しかし現在でも、人見知りというイメージは芸人の間でも払拭されていないようです。

一度ついてしまったイメージはそう簡単に消えないということなのか、

それとも実は若林さんの人見知りが克服されたというのは嘘なのか?

真実は本人にしか分かりませんが、おそらく答えは前者だと思われます。

というのも若林さんには、人見知りを克服したと思われるエピソードがいくつかあるのです。

たとえば2015年のお正月、グアム旅行に行った若林さんは、

現地にいた日本人女性グループをナンパし、LINEのグループを作っていたのだとか。

他にも、2017年には近所のコンビニで顔見知りになった女の子と、親しく会話ができる仲に発展したそうです。

若林さんは女の子と話すのが大の苦手だったので、コンビニで知り合った女の子と話すなんて、以前の彼では有り得なかったでしょう。

ただ、女性に興味が無いわけではないので、人見知りが克服されたらことでどんどん話しかけられるようになったのかもしれませんね。

現在は女性アイドルグループ、日向坂46の番組でMCを務めるほか、結婚も発表した若林さん。

これらから見ても、若林さんはだいぶ人見知りを克服できたと思われます。

まとめ

若林正恭さんの、人見知りを克服するまでの道のりをご紹介してきました。

じゃない方芸人に甘んじていた彼が、

MCの仕事を任されるようになって自分自身の人見知りっぷりを痛感させられ、

そこから弛まぬ努力を積み重ねてきました。

そのために選んだのは、自分が大の苦手だった女性とお金を払うことで一定の時間、半強制的に話すことになるガールズバー。

現在のご時世もあって、この克服方法はなかなか推奨できる方法ではありませんが、

他にもMC仕事の中で、若林さんは年配の人の懐に入るスキルというのを身につけました。

これは、人見知りに悩んでいる人もぜひ意識してみた方が良いかもしれません。

今では「ピンクのベストを着た春日さんじゃない方」としてではなく、

相方と共にお笑い界を牽引する存在になったと言っても良いオードリーの若林さん。

日々の努力で性格を劇的に改善させた彼が、相方の春日さんと共に今後もさらに活躍することを期待していきたいと思います。