結論

コンビで最も楽しかった瞬間は、全国ライブをしている時のスケジュールが空いていた時に、スタッフなどと4人で『北の国から』のロケ地巡りをしていた時だと語っていました。

2021年8月17日をもって、32年間続けてきたコンビを解散することになった「雨上がり決死隊」。

1989年にコンビを結成し、ボケを宮迫博之さんが担当し、ツッコミを蛍原徹さんが担当していました。

宮迫さんがいわゆる闇営業騒動でテレビ出演ができない時も、

蛍原さんは『アメトーーク』などのコンビの仕事を1人でやってきました。

そして宮迫さんの方も、YouTubeでの活動再開からコンビで再びテレビに出演することを考えていましたが、その目標は叶うことはありませんでした。

今回は、そんな雨上がり決死隊のコンビ解散理由と、そのコンビ仲についてご紹介していきます。

解散理由

2021年8月17日、雨上がり決死隊の解散が発表された日の夜、長年コンビで出演していたテレビ朝日の『アメトーーク』の収録セットにて、

インターネット上での生配信にコンビ揃って登場した、宮迫博之さんと蛍原徹さん。

2019年6月、吉本興業に所属する芸人による闇営業問題が明るみになったのは、みなさんの記憶にも新しいとことでしょう。

宮迫さんもこの問題に大いに関わっており、雨上がり決死隊としての活動は休止することになりました。

コンビとしての活動休止から約2年。

どうして今になって、雨上がり決死隊は解散という選択に至ったのでしょうか?

8月17日の生配信にて、そこら辺も明らかになりました。

宮迫さんの闇営業問題が明るみになってからも、1人で『雨上がり決死隊』として、テレビなどでの活動を続けてきた蛍原さん。


蛍原さんはコンビでの活動が休止になった当初、コンビでの活動再開の道を模索していたそうです。

宮迫さんの方も、「アメトーークで復帰したい」と言っていました。

しかし、蛍原さんは宮迫さんに対して、「気持ちにズレを感じた」と語っていました。

宮迫さんが単独で始めたYouTubeも蛍原さんは見たそうで、複雑な気持ちだったと漏らしています。

そして、「雨上がり決死隊を外した方がみんなスッキリ進めるのではないか」と思うようになり、2021年の4月にはすでに解散を打診していたようです。

宮迫さんは解散を打診されて、最初は戸惑ったものの、「これ以上、迷惑とツラさを強いる訳にはいかない」と解散を了承。

実際には、解散を言われてから2週間後くらいに一度、「考え直して」と言ったそうですが、蛍原さんに受け入れられることはありませんでした。

この話から察するに蛍原さん、

「雨上がり決死隊としてやり直したいと思っているのは自分だけなのではないか」と感じてしまったのではないでしょうか。

あくまでも個人的な予想ですが、『雨上がり決死隊』としてではなく、『宮迫博之』としてYouTubeで活躍している姿に、思うところがあったのかもしれません。

もしかすると宮迫さんの方から、もっとコンビ復活に向けてのアクションを起こしてほしかったのかもしれませんね。

『気持ちのズレ』という言葉からも、2人の間に温度差が生じた結果、解散を選んだ可能性が高いような気がします。

コンビ仲エピソード

ここからは、雨上がり決死隊のコンビ仲が分かるエピソードを紹介しましょう。

宮迫さんは、2012年に早期の胃がんが発覚し、手術を受けています。

定期的に検診を受けていたわけではなく、本当にたまたま人間ドックに行った先で早期の胃がんが見つかったのです。

そのとき宮迫さんは、蛍原さんに「話がある」と切り出します。

そして「実は人間ドックに行ってきたら…」と言ったところ、最後まで言い切らないうちに蛍原さんは事情を察してくれたそうです。

「とりあえず治してくる」と言った宮迫さんに対し、蛍原さんは

「仕事のことは大丈夫。俺に任せとけ」と、宮迫さんを治療に送り出したそうです。

宮迫博之さんの手術が成功し、テレビに戻ってくるまでの間は1人で仕事をこなしていた蛍原さんですが、当時のことはほとんど覚えていないのだとか。

いくら早期の手術とはいえ、癌であることに変わりありません。

万が一という可能性もあります。

手術を受ける宮迫さんはもちろんのこと、それを待っている蛍原さんも相当不安だったことでしょう。

このエピソードを聞いた坂上忍さんは、「こんなの聞いたら泣けるよね」と言っていました。

お互いへの信頼が分かる素敵なエピソードですね。


他には、宮迫さんの闇営業問題が発覚し、1人で活動していた2020年8月頃のこと。

番組のインタビューで、宮迫さんと会っているかを聞かれた蛍原さん。

言いにくそうに、「この間2人で会って話した」と話しました。

会話の内容までは話していませんでしたが、宮迫さんのことは「変わってない」と言っていました。

また、「人間はそう簡単に変われるものじゃない」とも…。

実は蛍原さんは、宮迫さんと2人きりで会うのは、東京に出てきて以来なので約25年ぶりくらいなのだとか。

そして蛍原さんは、宮迫さんのことを「コンビというより、むしろ身内」と言っていました。

また、この2020年8月時点では、蛍原さんは「解散することは考えていない」とも言っていました。

コンビではなく身内とまで言っていた蛍原さんが、このあと1年足らずの間に解散を選択。

詳しいことは本人にしか分かりませんが、ツラいものを感じました。

コンビで最も楽しかった瞬間

2021年8月17日、解散を受けての生配信では、宮迫さんと蛍原さんがコンビで最も楽しかったエピソードについても話していました。

コンビを組んで5〜6年くらいの頃、雨上がり決死隊は単独ライブとして全国を回っている時がありました。

札幌で公演をした翌日、スケジュールが空いていた2人。

スタッフ2人ほどと合わせて、4人でレンタカーを借りて、『北の国から』のロケ地巡りをしたそうです。

蛍原さんは『北の国から』が好きなのは割と有名ですが、

実は宮迫さんも『北の国から』が好きだということで、とにかくはしゃいでロケ地巡りをしたそうです。

岩城滉一さんの牧場では、「ここが草太兄ちゃんの牧場や!」と2人して大はしゃぎ。

自然と素っ裸になり、牧場を全力疾走したそうです。

もちろん牧場には誰もいなかったということですが、なかなかできることじゃないでしょう。

20年以上前のことですが、蛍原さんも宮之さんもこのときのことは良く覚えていると語っていました。

まとめ

32年間、実に四半世紀以上コンビとして続けてきた雨上がり決死隊は、2021年をもってそのコンビの歴史に終止符が打たれることになりました。

コンビとして最後に映ったのが、宮迫さんが復帰を希望していた『アメトーーク』のセットだったというのは、少し複雑な気持ちになりました。


蛍原さんの気持ち、闇営業騒動後の宮迫さんの動き、皆さんは一連の話から、このコンビの解散についてどう思いましたか?

今後はどんな形で活動していくのかは分かりませんが、蛍徹さんと宮迫さんの2人が納得する形で活動していけると良いですね。