結論

CM撮影で訪れた時に魅了され、その日のうちに移住を決めますが、知人に貯金を勝手に使われたことから、日本円にして家賃3万円ほどの共同アパートで質素に暮らしていました。

元プロ野球選手であり、2022年からかつて所属していた北海道日本ハムファイターズの監督を務めることになった新庄剛志さん。

就任会見にて自身の口から発表されたBIGBOSS(ビッグボス)という愛称も、早くもファンの間で浸透し始めてきました。

現役時代は、阪神タイガースからメジャーリーグに挑戦し、

ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツに所属し、

その後NPBに復帰して北海道日本ハムファイターズでプレーしました。

抜群の守備力や強肩を持ち、勝負強いバッティングで多くのファンを魅了しました。

彼の現役時代を知っている人には、記憶に残るプレーがたくさんあるのではないでしょうか?

現役を引退した後はタレントや実業家や馬主になるなど、多くの分野で活動しています。

そんなビッグボス新庄さんですが、一時期インドネシアのバリ島で暮らしていました。

なぜバリ島に移住したのか、どんな生活をしていたのか気になる人もいるでしょう。

そこで今回は、そんな新庄さんのバリ島での様子などをご紹介していきます。

現役時代

高校生の時にドラフト5位で阪神タイガースに入団した新庄さん。

プロ入り3年目頃からスタメンに名を連ねるようになり、

初スタメンとなった試合の初打席で初球ホームランを決めたことで、その試合のヒーローになりました。

阪神タイガースでの11年間は、その卓越した守備力が特に高く評価され、ゴールデングラブ賞を何度も受賞しています。

その後新庄さんは、2001年から3年間メジャーリーグでプレーしました。

阪神に在籍していた11年の間で、最後の年となった2000年が当時最も良い成績だった新庄さん。

球団から提示された翌年の条件はどの球団よりも好条件だったにもかかわらず、メジャーを選んだその決断力と行動力には驚かされます。


また、この時は彼の他にあのイチローさんもメジャーリーグに挑戦して活躍したことから、

連日メジャーで活躍する日本人の姿がニュースで報じられるようになりました。

メジャーでも、新庄さんはその守備力やここ一番での力強いバッティングで、アメリカのファンを魅了。

日本人初のワールドシリーズ出場も果たしました。

その後日本球界に復帰した新庄さんは、最初にオファーしてくれたという北海道日本ハムファイターズへ移籍。

入団会見での、「チームを日本一にする、札幌ドームを満員にする」といった目標も話題になりました。

当時ファイターズは本拠地を札幌に移したばかりだったこともあり、新庄さんのプレーは大いに注目されました。

そんな中で新庄さんは、当時もうベテランの域に差し掛かりながらもメジャーを経験して培われた、

錆びない身体能力で阪神時代に匹敵するほどの活躍を見せた他、

「新庄劇場」で多くの野球ファンを魅了しました。

その効果もあってか、札幌ドームを満員するという目標を果たし、引退発表をしたシーズンにファイターズは日本一にも輝きました。

バリ島での生活

現役を引退した後、あるCM撮影でバリを訪れたことでその島に魅了され、その日のうちにバリに移住することを決めた新庄さん。

「誰にも気づかれずに、自由にのんびり過ごせる」

と感じたことも、移住を決めた大きな要因だったそうです。

バリ島に移した住当初は、8LDKの大豪邸に住んでいましたが、知人に貯金を使い込まれていたことが判明してから引っ越しをすることに。

その後の住まいは、観光者向けのバスタブなし冷蔵庫キッチン共同アパートの一室で、広さは6畳ワンルームでした。

家賃は日本円にして3万円、一ヶ月の生活費は家賃を含めても10万円以下だったそうです。

自由を求めて移住したバリでしたが、知人との金銭トラブルで大金を失ってしまったため、

「物価が安いところで生活する事に目的が変わってしまった」と当時について明かしています。

バリ島は日本に比べると物価が安いとされていますが、食事も一食200〜300円くらいで済むそうです。

新庄さんの場合は地元のスーパーや市場に通うことで、食費を抑えていたそうです。

唯一お金を掛けていたのが、トレーニング後のマッサージで1時間300円ほど。

洋服は3,000円前後の安いものを購入し、自分でポケットをつけたりしてアレンジを楽しんでいたようです。

食費を抑えるためスーパーや市場に買い物に行ったり、安い洋服をアレンジして着ていたりと、

現役時代の派手な感じから考えると少し意外な一面を感じますね。

大豪邸に暮らしていた頃と比べると質素な生活をしていましたが、新庄さん自身はそんな生活も大いに楽しんでいたようです。

また、現地の子どもに騙されたというエピソードもありました。

サーフィンをしている時にある現地の子どもに偶然会い、

「サーフィンが好き」と聞いた新庄さんはサーフボードをプレゼントすることに。

子どもと一緒に店に行き、好きなものを選ばせたところ、選んだのは4万3,000円くらいするボードだったそうです。

「インドネシアの月給って1万二千円くらいだから、さすがに俺も『えっ?』て思ったけど、今さら『もっと安いのにしておけば』なんて言えなかった。」

とその時の心境を語っています。

買ってもらえた子どもはとても喜んだそうですが、後からそのサーフボードが売られていたことが判明。

本当はサーフィンなどやっておらず、その子供は他ただお金が欲しかっただけだったのです。

それでも新庄さんは、

「お金を損したとか得したとか、そんなのどうだっていいんです。その日1日、誰かを笑顔にさせられただけで満足だから。」

と自分の考えを話すのでした。

まとめ

プロの世界は厳しく、野球に関わらず、どんなスポーツでも活躍できるのはほんの一握り。

そんな厳しい世界で、新庄さんは17年間も第一線で活躍していました。

その実績を考えても、凄い選手だったという事が分かりますね。

実は引退した後、バリに移住する際に奥様だった大河内志保さんと離婚しています。

移住を決めた日に、「バリに住むから離婚してくれ」と元奥様に突然メールを送ったのだとか。

それだけ自分の気持ちに正直なのかもしれません。

そんな新庄剛志さんは、2022年から現役時代に新庄劇場で大いに盛り上げていた、

日本ハムファイターズの監督に就任することが発表され、大いに話題になりました。


自らを「BIGBOSS」と称し、

「優勝は一切目指さない」「全員に一軍出場のチャンスを与える」

といった就任会見での発言は、新庄さんらしさ全開でした。

2021年11月には、チームが秋季キャンプをスタートさせ、真っ赤なジャージ姿でワゴン車を使った遠投練習などが話題になりました。

選手たちとのコミュニケーションも積極的に行なっており、

高校通算本塁打数の記録を塗り替え、2018年のドラフト1位で鳴り物入りで入団しながらも、

3年目の2021年はプロ入り後初の一軍出場無しに終わった清宮幸太郎選手には、

独特な言い回しで減量を指令。

一方、2018年の甲子園でいわゆる「金農旋風」を巻き起こし、

翌年のドラフト1位で入団した吉田輝星投手を視察した際には、

「現役時代の俺だったら打てない」と期待を膨らませるなど、

若手に積極的に声をかけに行く場面が見受けられました。

そうした動きは、早くも若手選手たちの心もガッチリと掴んでいるようです。

新庄ビッグボスが、今後どのように日本ハムファイターズ、

さらには日本のプロ野球界に新風を引き起こしてくれるのか、今から楽しみですね。