結論

織田信成さんが関西大学の監督を退任した理由について、大学側は多忙のためと敷いていますが、織田信成さんのブログではモラハラや嫌がらせがあったことが述べられています。

織田信成さんは2010年のバンクーバーオリンピックに出場するなど、2000年代に活躍したフィギュアスケート選手です。

アマチュア引退後は、プロスケーターやスポーツ解説者、タレントなど活動の場を広げていましたが、2017年からは母校の関西大学アイススケート部の監督に就任していました。

最近その監督の座を退きましたが、退任の理由が大学側と大きく違うと話題になっています。

その裏事情について、深く掘り下げてみたいと思います。

プロフィール

母親がスケート選手であり、兄や姉もスケートをしていたという環境から、信成さんも7歳の頃からスケートをやるようになりました。

1998〜1999シーズンに全日本ノービス選手権8位。

2004シーズン〜2005シーズンは、世界ジュニア選手権で優勝を飾るなどの成績を残しています。

2005〜2006シーズンから本格的にシニアに参戦し、グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では優勝を果たし、本田武史選手、高橋大輔選手に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となりました。

数々の好成績を残し、2010年にはバンクーバーオリンピックに出場しますが、靴紐が切れるなどのアクシデントに襲われ、7位入賞に留まります。


その後は、左膝の故障に苦しむ期間もありましたが、2013〜2014シーズンのネーベルホルン杯ではSP、FSともに4回転ジャンプに成功

自己ベストを更新するなど、盛り上がりを見せました。

しかし、ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権では総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場はなりませんでした。

2013年の全日本選手権終了後、現役を退くことを涙ながらに発表しました。

引退後はテレビのスポーツコメンテーターの担当やバラエティ番組など、テレビ出演が多くなりました。

また、アイスショーなども行なっています。

モラハラを受けて関大の監督を退任!?

織田さんは引退後、スポーツ解説者やテレビタレントなどで活躍の場を広げてきましたが、指導者としての夢も持っていました。

そして2017年4月1日付で、母校である関西大学アイススケート部の監督に就任しています。

ところが、わずか2年半で監督退任となってしまいました。

そのうえ、退任理由が発表されたものと大きく違っていたのです。

大学側での発表では、多忙を極めたために退任したとされていますが、彼自身がこれについてブログで説明。

9月29日に更新したブログによると、退任した本当の理由はリンク内で彼に対して嫌がらせやモラハラがあったためだとのこと。

その影響から、2019年の春ごろより体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間はリンクに行くこともできなくなっていたそうです。

またそれに対する大学の対応が、誠意あるものとは思えなかったことも辞任の引き金になったようです。

このことで、7月に弁護士を立てて関西大学と話し合いを行い、大学側から事実を調べて報告を上げるという結論に達したものの、2ヶ月待っても何も結果報告はなかった模様

指導者としての夢もあり、なんとかリンクへ戻れないかとずいぶん思い悩んだようです。

しかし精神的に耐えられなくなり、辞任に至ったということでした。

途中で職務を投げ出した格好になったことを謝罪しつつ、「指導者としての夢を諦めてはいないので、オファーがあればどこへでも行って指導できればと思っています」とブログの最後を締めくくっていました。

関大側のコメント

関西大学は当初、織田さんが辞任した理由について「他の活動が多忙で監督業との両立が難しくなったため」と発表していましたが、織田さんのブログを受けて9月30日に文書を発表。

そこでの言い分としては、「指導方法をめぐって同部内で意見の相違があったことは認めます」としながらも、織田さんのモラハラに対する調査への要求には、「総合的にみて、その要望を受け入れることは妥当ではないと判断しました」としています。

また、「織田さんのご体調も考慮しつつ、こうした結果を織田さんにお伝えすべく、慎重に準備を進めておりましたところ、先に織田さんから辞任のお申し出があり、やむなく本学として了承することとなりました」とコメントしています。

織田さんと大学側とは、どこまで行っても平行線のようです。


そんな大学側の回答にネットでは、「何も答えになっていない」「どうして初めに違う理由を発表したのか」と非難の声が数多く寄せられていました。

関西大学アイススケート部は、バンクーバーオリンピック銅メダルの高橋大輔さんや、2015年の世界選手権で銀メダルを獲得した宮原知子選手など、世界で活躍する選手を多く輩出している名門中の名門です。

しかし織田さんが辞任する時にはあっさりと承諾するなど、何か裏があるように思えてなりません。

指導者としての夢を持っている織田信成さんには、母校を羽ばたいて次なる活躍の場で後輩の指導に当たって欲しいと願うばかりです。