プロレスラー・政治家としても活躍したアントニオ猪木さん。

そして女優として人気も実力もある倍賞美津子さん。

二人は結婚されていましたが、離婚されていますよね。

そんな二人の馴れ初めや結婚期間はどれぐらいだったのでしょうか?

また破局理由も知りたいですよね。

今回はそんな二人の馴れ初めから結婚期間、破局理由をまとめてご紹介しましょう。

馴れ初めは?

アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんですが、まずは簡単に二人のプロフィールをご紹介しましょう。

・名前:アントニオ猪木(あんとにおいのき)

・本名:猪木寛至(いのきかんじ)

・生年月日:1943年2月20日

・出身地:神奈川県横浜市

・身長190センチ

プロレスラー、実業家、政治家として活躍していました。

新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」ってことで、有名ですよね。

異種格闘技戦でも活躍し、プロレスのレジェンドですよね。

闘魂注入のビンタや「元気ですかー!」「1,2,3,ダー!」は誰しもが知っているフレーズだと思います。

2020年に難病の「心アミロイドーシス」という病に冒されている事を告白し、闘病生活を送っていましたが、2022年10月1日に死去されました。

・名前:倍賞美津子(ばいしょうみつこ)

・生年月日:1946年11月22日(75歳)

・出身地:茨城県

・身長:163センチ

女優として若い頃から活躍していますよね。

実姉は同じく女優の倍賞千恵子さんになります。

庶民的な姉の千恵子さんと異なり、都会的な女の情念を表現して、独自の世界観を切り開いていました。

妖艶な演技も良かったですし、演技派ですよね。

年齢を重ねてからは母親や祖母などの役もやってますが、とても演技が上手です。

引退はしてないですが、最近はあまり露出は多くありませんね。

ということで、二人についてご紹介しましたが、プロレスラーと女優ってどうやって知り合ったのか謎です。

調べてみると、キッカケはアントニオ猪木さんの名付け親で、元大力士でプロレスラーの豊登道春さんが関係していました。

豊登さんは以前から倍賞家と交流があったようで、松竹歌劇団のファンだった猪木さんを倍賞美津子さんと引き合わせたのがキッカケということで、これが1986年になります。

それから二人は食事をしたり、仲良く泳いだりと良い関係だったそうですが、一時疎遠になったという事。

その理由はお互いが多忙になったという事ですね。

その後再開したのは3年後の1989年で、このときは猪木さんが倍賞さんの実家に顔を急に出したという事でした。

この訪問により二人は再び関係を持ち、交際に発展したそうですよ。

結婚期間は?

アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんは1971年11月2日に京王プラザで結婚式を行っています。

この結婚式はとても盛大で1300人が出席し、かかった費用は1億円ということです。

当時としては史上最高額と言うことですね。

出会ってから5年で結婚されていますが、結婚に積極的だったのは猪木さんということで、猛アタックしたそうですよ。

アントニオ猪木さんが一目惚れしたって事ですからね。

しかし、倍賞美津子さんは結婚するのに躊躇いがあったという事。

それは、仕事が楽しくなってきていた事と、姉の千恵子さんより早く結婚していいか迷ったからだそうです。

それでも、猪木さんの積極的なアプローチにより結婚したんですけどね。

しかし結婚してすぐ1ヶ月半後には、「日本プロレス」を追放されてしまい、会社が負担してくれる予定だった結婚式の費用1億円も払ってもらえず、借金1億円を背負うことになります。

なんでそんなことになったのかというと、猪木さんはこの頃、会社の経営に不満があり、内部改革をしようとしたんですが、それが会社にバレてしまったという事ですね。

だからこそ、追放されてしまったわけですが、そんな猪木さんに倍賞美津子さんは優しく励ましていたそうですよ。

1972年には、新居の一戸建ての自宅を改造して「新日本プロレス」を旗揚げしていますしね。

かなり倍賞美津子さんにお金の工面をしてもらっていたというのもあるようです。

その後、1974年には女の子も誕生していますし、幸せそうな結婚生活を送っていましたが、1987年には離婚されています。

結婚生活は16年ということで、結構長いと思いますけどね。

破局理由は?

1971年に結婚し幸せな結婚生活を送っていたアントニオ猪木さんと倍賞美津子さんですが、1987年に離婚されました。

結婚生活は16年でしたがその離婚した理由はなんだったのでしょうか?

結婚当初は倍賞美津子さんのサポートもあり「新日本プロレス」も成功を収めたんですけどね。

しかし、1980年代にはいると猪木さんが副業で始めた事業が失敗し、借金が数十億円に。

そんなことも有り、夫婦喧嘩が絶えなくなったそうですよ。

また、倍賞美津子さんが個人的に貯めていた預金を、勝手に猪木さんの親族が使った事などもあり、二人の関係は最悪な状態にむかっていったということ。

他にも倍賞美津子さんの不倫もあったんですよね。

1985年に倍賞美津子さんが俳優の萩原健一さんの家から一緒に出てくるところをスクープされました。

二人は映画で共演し親密な関係になったという事ですが、まあこれも離婚の原因と言えるでしょう。

別れは倍賞美津子さんから切り出されたそうで、「一緒にいることはお互いの為にならない」と言うことでした。

それでも離婚した後も、1988年の猪木さんの引退セレモニーには、倍賞美津子さんは花束をもってかけ付けていますし、2002年の「新日本プロレス」の創立30周年の記念興行にも、サプライズゲストとして出演しています。

離婚したあとでも、固い絆で結ばれていたと言えますよね。

アントニオ猪木さんは倍賞美津子さんと別れたあと、1989年に22歳年下の一般人女性と結婚し、1990年には男児が誕生していますが、猪木さんの浮気が原因で2012年に離婚。

その後、2017年2月20日、74歳の誕生日に4回目の結婚をしています。

相手は約30年にわたりビジネスパートナーとして支えてくれていた16歳年下の元カメラマン。

政治家時代には秘書をつとめ、ずっと猪木さんと仕事をしていたと言うことですね。

しかし2019年にこの奥さんが亡くなられました。

アントニオ猪木さんの活躍の影には、常に女性の姿があったということで、寂しがり屋だったのかもしれませんね。

また、女性にモテたという事でしょう。

一方の倍賞美津子さんですが、女優としても精力的に活動していますね。

75歳なのに凄いなって思いますし、それだけ演技を待ち望んでいる人がいるというのも確かでしょう。

また結婚ですが、アントニオ猪木さんと別れたあと、萩原健一さんと同棲生活をしていましたが、萩原健一さんの浮気により破局していますね。

それ以降は、交際や結婚の噂もなく、女優業一筋という感じです。

また倍賞美津子さんは2019年に妻を亡くしたアントニオ猪木さんの元を訪れていたと言うこと。

アントニオ猪木さんが入院中は、愛弟子やごく一部の関係者しか病室に入れなかったそうですが、倍賞美津子さんだけは別だったそうですよ。

猪木さんは倍賞美津子さんが来ると穏やかな笑みを浮かべていたということで、離婚してもずっと交流があったという事でしょう。

お互いが離婚しても付き合えるって良い関係ですよね。

猪木さんは亡くなってしまいましたが、倍賞美津子さんには長生きしてもらいたいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。