今でこそ酒の量は控えるようになりましたが、若い頃は1年に一度くらいの割合で記憶がなくなるまで飲むことがあるほどだったそうです。
2021年10月4日より、菅義偉前総理大臣からバトンを引き継ぐ形で、新しく日本の内閣総理大臣に岸田文雄さんが就任します。
これから日本を引っ張っていく存在になる岸田新総理大臣が、どんな人物が気になる人も多いでしょう。
調べてみると、「イケメン」「酒豪」などと言われているほか、
広島出身ということもあって生まれながらのカープファンを自称しているようです。
今回はその中でも、政治の場面でも活かされた酒豪という部分に焦点を当てて、
新たな総理大臣の人物像を見ていきたいと思います。
岸田文雄
岸田文雄さんは、1957年7月29日生まれで、2021年10月時点で64歳です。
1963年から3年間、アメリカのニューヨークで過ごしますが、そこで理不尽な人種差別を経験します。
その後開成高校に進学し、東京大学を目指して二浪するも、結局は早稲田大学に進学。
早稲田大学は、多くの政治家を排出している大学でもありますが、この頃は特に政治家を目指していたわけではありません。
卒業後は5年間、銀行員として働いた後、1987年に父親の秘書になります。
その後1973年に自民党公認のもと、広島1区から出馬し初当選。
外務大臣などを経て今に至るわけですが、岸田総理は昔から自己主張をせず、謙虚で誠実、人の話をよく聞く人と言われています。
しかし、最近では周りからのアドバイスもあり、少しずつ自己主張するようになったようです。
そんな岸田総理は先ほどご紹介した通り、大学を卒業した後は銀行員になるなど、最初から政治の世界を志していたわけではありませんでした。
しかし本人曰く、幼少期のある出来事が、政治の世界を志すキッカケになったと語っています。
岸田総理は子供の頃、3年ほどアメリカで過ごした時期がありました。
学年にすると、小学1年生から3年生の頃です。
そのとき、白人の女の子に『手を繋ぐのを拒否される』という人種差別を経験したのです。
具体的には小学校の遠足で動物園に行った時、
「パートナーと手を繋ぎなさい」と教師から指示があったにもかかわらず、
その白人の女の子は顔をしかめて手を繋がなかったのです。
子ども心ながらに、世の中には理不尽な人種差別があることを知ることになりました。
当時自分が経験した理不尽な差別があったからこそ、理不尽な世の中への正義感が生まれ、その正義感が政治家を志すキッカケになりました。
学生の頃には政治家になりたいという思いは薄れつつありましたが、
銀行員をやめた後に父親の秘書を務め、
父親の背中を見てしっかりと政治家を志す気持ちが固まったようです。
酒豪エピソード
岸田新総理大臣は自他ともに認める酒豪であり、一部では「政界一の酒豪」とまで言われています。
今でこそ60歳を超えたこともあり、お酒の量は控えているそうですが、若い頃は浴びるように飲んでいたそうです。
具体的には、年に一度の頻度で記憶がなくなるほど飲むことがあるとのこと。
どうやって家までたどり着いたか覚えていないことも、チラホラあったそうです。
何のトラブルもなく家まで着いているという点は凄いと思いますが、岸田総理は
「記憶が繋がらないと不安」な性格だそうです。
なので、お酒を飲みすぎて記憶がない部分があるということは不安で仕方がなく、そうなった時は必ず一緒にいた人に電話をかけるのだそうです。
一緒にいた人に電話をして自分自身の記憶をたどり、毎回記憶を繋ぐ作業を欠かさないという岸田総理。
ただのお酒好きではなく、真面目な人なのかもしれません。
次にご紹介するのは、岸田さんが外務大臣だった頃の話です。
ロシアに赴いたとき、当時のロシアの外相「ラブロフ外相」とウォッカを酌み交わしたことがあります。
ロシアは寒い国だからこそ、「体温が上がるように」という意味もあり、アルコール度数の高いお酒が多いと言われています。
ウォッカもその1つで平均は40度、最高度数ともなると96度とほぼ原液のようなものもあるのだとか。
ちなみに、日本で広く親しまれているビールは、5%ほどと言われています。
そして、ラブロフ外相も酒豪として知られており、ウォッカを始め度数の高いお酒もかなり飲めるようです。
岸田外務大臣はそんなラブロフ外相にお酒を振る舞われ、互角に渡り合ったそうです。
またロシアでの会合の後、ラブロフ外相が日本を訪れた時には、日本酒で迎え撃つと言っていました。
次にご紹介するエピソードは、1997年に行われた日台議員懇親会での出来事。
文字通り、日本と台湾の議員が親交を深めるために行われるものです。
参加するのは『自民党青年局』のメンバーで、岸田さんが在籍していた時は、安倍晋三元総理大臣も在籍していました。
ちなみに安倍元総理大臣は、あまりお酒が飲めません。
今でこそアルコールの強要はパワハラなどと言える時代になり、アルコールを勧められても断ることができるようになりました。
しかし、1997年頃はまだそのような風習はなく、たとえお酒が飲めなくても断れない風潮が根強く残っていた時代でした。
実際安倍元総理を始め、当時の自民党青年局のメンバーはみんなお酒が飲めない人ばかり。
そんな中、台湾では出されたお酒は飲み干すのがマナーとされていました。
つまり当時の自民党青年局メンバーは、
「お酒が飲めないのに飲まないといけない」状況に立たされていたのです。
断ってしまえば、あわや日本と台湾の関係が悪化する事態にも…。
そこで登場したのが、自他ともに認める酒豪の岸田文雄さんでした。
岸田さんは、自分以外のお酒が飲めない青年局のメンバーに代わって、1人でどんどんお酒を飲み干していったそうです。
ビールや紹興酒を始め、アルコール度数が60度を超えるマオタイまで、どんどん飲み干していったのだとか。
岸田文雄さんが酒豪だったおかげで、当時の日本と台湾の関係が悪化せずにすんだ、と言っても過言ではないでしょう。
まとめ
新たに総理大臣になった岸田文雄さんの、特に酒豪である部分にフォーカスして彼の人物像を見ていきました。
10月4日付けで、ちょうど100代目の内閣総理大臣に任命される、2021年で誕生して150年経った広島県出身の岸田さん。
メモリアルな数字に縁があるというのは、なかなか持っている政治家なのかもしれません。
現在日本のみならず世界が、2020年ごろから流行しているウイルスに翻弄され続けています。
ワクチン接種率も着実に増えている日本では、2021年10月から緊急事態宣言もまん延防止措置も全面的に解除されました。
しかし一方で、酒類を提供する店などに対しては時短要請が出されるなど、まだまだ予断を許さない状況が続いています。
岸田文雄新内閣総理大臣の手腕に期待したいですね。