結論

社長を目指し様々なイベントを開催しましたが、その度に赤字になり、一時は借金が5,000万円にまでのぼったこともありました

DJ社長こと木元駿之介さんは、音楽グループ「レペゼンフォックス」のメンバーで、YouTubeを中心に活動しています。

そんな彼は過去に、必死になりすぎて破天荒な生活を送っていたことがあります。

彼が人気者になるまでの、波瀾万丈な日々をご紹介します。

借金まみれ

高校時代、「社長になる」と決めて福岡県から上京し、駒澤大学経営学部に進学。

上京後は、会社を経営する様々な人たちとパーティなどで交流し、情報収集していたそうです。

その時に、「会社を立てて仕事を始めるには最低500万円は必要」だと知り、

「パーティを企画して会社を作る資金を稼ぐ」と決め、50人程が集まれるパーティを毎週開催することに。

しかし、50人規模のイベントでは資金が稼げないことがわかり、300人規模の大会場を確保してイベントを開催することにしました。

渋谷や各大学で呼び込みをしましたが、結局50人だけしか集まらず赤字となり、自分自身の貯金を全て会場費に回すことに。

それでも夢を諦めず、同じ規模の会場でリベンジのパーティーを開きましたが、それも100人しか集客できず、大赤字で借金を背負うことになりました。

何度もリベンジして集客数は徐々に増えていきましたが、会場が大きくなっていったことで全てのイベントは赤字に。

借金が増えていったことで、とうとう家賃や水道光熱費の支払いもできなくなり、友人の家へ居候することにもなりましたが、

「次こそは本気でやってやる」と決意し、必死に試行錯誤を重ねます。

そして、Zepp Divercityでイベントを開催して、2,500人を集客することができ、大成功を収めました。

夢の会社設立

無事に借金も返済でき、3ヶ月後にはSTUDIO COASTでイベントを開き、3,500人を集めた結果、約500万円の黒字にすることができました。

そして会社を建てるため、地元の福岡県へ帰ります。

2013年8月、地元の友人や後輩を仲間に入れて、社員6人で「株式会社PARIST」を設立。

家賃5万円の賃貸を事務所として利用し、開業資金を使って「bar Paris」を開店させました。

さらに、九州最大のイベント団体「博多Life」のトップとなりましたが、詐欺被害に遭い、現金1,000万円以上を全て失うはめに。

しかし、お金が無くなったことは部下には言わず、ヒッチハイクで上京し、金策を得ることにしました。

頼れる人脈を利用し、お金を借りてきたものの、さらにまたそこで詐欺被害に遭い、約3,000万円もの負債を負うことになってしまいました。

この時DJ社長さんは、「借金を返すために借金してもダメだ。自分で稼いだお金で払わないと」と意志を強く固め、以前のようにまたイベントを開催することに。

しかし、大規模なイベントということもあって、さらに借金を背負うことになり、負債額は5,000万円にのぼりました。

さらに2014年10月、福岡国際センターでイベントを開催したものの、定員1万人のところ約4,000人しか集まらず、大失敗となって借金が倍になってしまいました。

イベント終了後は落ち込む日々を送っていましたが、ある日きゃりーぱみゅぱみゅさんがマリンメッセ福岡の会場を満席にしたことを知り、

「俺も有名人になる」と思い立ったそうです。

DJをやっていたことから、「1人で出来るDJで有名になるしかない」と考え、『DJ社長』として活動を始めるのでした。

下積み時代

当時はまだ、DJとしての知名度は全く広まっていなかったので、クラブ側からオファーが来ることは諦めていました。

SNSやホームページを活用して出演を要望したり、知り合いに電話を交渉していると、

「ノーギャラでもよかったら」という条件で出演するようになっていきます。

2015年から本格的にDJとしての活動が始まり、ヒッチハイクや高速バスで全国各地へ出向き、DJ活動を行なってきました。

お客さんに少しでも印象を残すように、フリートークをしつつ合間に

『ちびまる子ちゃん』や『アンパンマン』の楽曲を流してインパクトを与えたそうです。

クラブDJでは一般的に、海外のEDMを流し続けることが主流ですが、

DJ社長のパフォーマンスはクラブ関係者やSNSなどから批判されることで認知されていきました。

それから、さらに有名になるために動画を投稿し、「テキーラ一気飲み」の動画が特に話題になりました。

奇抜な動画やDJパフォーマンスを続けていくことで知名度が上がり、仕事のオファーが増えいきます。

そして、DJグループを作ることを決心し、DJ社長さんとDJふぉいさん、DJ BANBANさんの3人で「レペゼン地球」というグループが結成されました。

結成当初はお金が無かったので、高速バスで移動し、宿泊代を節約するため、

クラブのソファやラブホテルの駐車場で仮眠したり、イベント主催者の家に泊まったりしていました。

遠くから会場に着いたのに、5人の客しか集まらなかったこともあったそうです。

DJだけではまだ生活していけず、「bar エルフ」を開業して生計を立てました。

福岡での活動は1年弱で衰退し、福岡国際センターでイベントを開催した時には、スタッフが250人から10人弱にまで減りました。

2016年1月、YouTubeを開設し、レペゼン地球の知名度は徐々に上がりましたが、視聴者からは

「こんなのDJじゃない」「すぐ消える」などといった批判的なコメントが多く寄せられていました。

4月にはYouTubeで2ndシングル”YSP”を配信し、過激な歌詞がSNSで話題となり、一気にブレイクしました。

その後も全国のクラブで毎日ライブを行なっていましたが、

「この活動を続けていてもきゃりーぱみゅぱみゅは超えられない」と気づき、クラブに居るお客さんを楽しませるコンセプトから考えを変えて、

「自分目当てのファンを作ろう」と考えるようになります。

チケットを大手チケット販売会社を利用して販売し、昼間の時間帯にライブハウスで全国ツアーを行いました。

地方では観客が10~20人のところもありましたが、東京では200人分のチケットを完売させることができ、

自分たち目的に来てくれる人が200人もいることに感動したそうです。

そして、DJ社長さんはけじめをつけるため、福岡県にある「bar Paris」と「bar エルフ」を閉店させ、博多Lifeの事務所も閉鎖。

駒沢大学も退学し、音楽とYouTube活動に専念することを決めたのです。

レペゼン地球の解散

何度かの炎上騒ぎこそあったものの、わずか3年で幕張メッセで1万5,000人を動員するほどのワンマンライブを開催できるほどの、人気グループとなったレペゼン地球。

そんな中2020年末、福岡PayPayドームでのライブを最後にグループは解散となりました。

しかし、同じメンバーでグループの名前だけ変え、すぐさま活動を再開。

これには「解散詐欺」などと批判の声も上がりましたが、後日DJ社長さんがその真意を自身のYouTubeチャンネルで明かしました。

そこで語られたのは、H氏という人物による「レペゼン地球」の商標権の乗っ取りとも思えるような衝撃の内容でした。先

ほど、DJ社長さんの数々の借金エピソードをご紹介しましたが、借金が膨らんでいたその時に相談していた人が、このH氏だったそうです。

そして、「DJ社長」として活動するにあたって、会社を新たに作るようアドバイスされ、

口車に乗る形でその新しい会社の株式の51%をこのH氏に渡したそうです。

その時の話では、「借金を返し終わるまでこの株を預かっておいてあげる」という話だったそうですが、

実際にはレペゼン地球として売れ始め、借金も返せた際に株の返還を求めたところ、その会社から解雇されてしまったのです。

そして、「レペゼン地球」の商標権はこの会社に帰属しているので、DJ社長は「レペゼン地球」という名前を使うことができなくなり、急遽解散。

そして新しく、「Candy Foxx」を立ち上げて活動を続けることになったという内容でした。

この件については裁判中で、情報は断片的なのですが、H氏とのやりとりを録音した音声も公開され、

「レペゼン地球」がこのH氏の手に落ちたことが明らかになりました。

まとめ

高校生で社長を目指す決意をし、全速力で疾走してきた木元さんですが、軌道に乗り始めたら詐欺に遭うという繰り返しになっています。

お金があるところにはハイエナのような大人が群がってくるので、そういったものの知識がない若者がカモにされるのは、よくあることなのだろうと思います。

また「レペゼン地球」に絡む件は、これから裁判で明らかになっていくことになると思いますが、

口約束の部分がほとんどであり、もちろんH氏はそれをわかって口約束にしていると思われるので、

木元さんのところに「レペゼン地球」が返ってくる可能性は低いかもしれせん。


しかし、20代という若さでこれだけの経験を積んだこと、そして彼らを慕うファンが多くいることは、

誰にも奪うことのできない財産だと思います。

これをバネに、さらなる飛躍を期待したいですね。