結論

幼稚園の頃から家族ぐるみで付き合いがあり、度々スパーリングをしてお互いを高め合っていました。

2021年の東京オリンピック、女子ボクシングのフライ級で銅メダルに輝いた並木月海手。

身長153cm、体重50kgと小柄な22歳ですが、現役の陸上自衛官でもある並木選手。

ちなみに「月海」という名前は、彼女の両親がビジュアル系ロックバンド「LINA SEA」の大ファンであり、

『月』という言葉が「Lunaルナ」を意味し、『海』という言葉が「Sea」を表すことから、

「月海」という名前になったのだそうです。

「倒し屋」という異名も持つ彼女ですが、そんな並木選手が初めて格闘技で負けた相手が誰かご存知でしょうか?

それは、『キックボクシング史上最高の天才』と称される、那須川天心選手です。

RIZINなどを見て知った人も多いでしょう。

実はこの2人、幼稚園の頃からの幼なじみなのです。

今回は、そんなオリンピック銅メダリストと、天才格闘家の繋がりについてご紹介していきます。

2人の出会い

並木選手は千葉県成田市出身で、幼稚園の頃は極真空手を習っています。

幼少期からその才能は開花し、関東支部大会で決勝に進出。

そこで人生で初めての黒星を彼女につけたのが、那須川選手でした。

この決勝戦をきっかけに、親同士が仲良くなって家族ぐるみの付き合いになっていきました。

那須川選手は、小学生の頃には極真空手からキックボクシングに転向。

そんな那須川選手に誘われて、並木選手も小学4年生の時にキックボクシングを始めました。

幼稚園の頃から良きライバル関係でもあり、お互いが活躍すると称賛し合う2人。

今度は、キックボクシングで手合わせするようになったそうです。

心の変化

幼少期から、格闘技の才能に恵まれていた並木選手。

しかし中学生になると、「普通の女の子の生活がしたい」という思いが強くなり、キックボクシングもやめて陸上部に入部しました。

中学生といえば、まさに年頃の時期。

女の子らしさに敏感な時期でもあるでしょう。

しかし格闘家としての本能が、そうした思いを凌駕しました。

わずか1年で格闘家へと戻ることになり、次はなんとキックではなく、パンチの方のボクシングへと惹かれていったのです。

そして高校は、ボクシングの名門でもある埼玉の花咲徳栄高校に進学。

当時並木選手は千葉県成田市に住んでいましたが、高校のある埼玉県加須市までは、片道2時間半かけて3年間通っていました。

またその間、電車の乗り換えが4回もあり、ゆっくり座ってうたた寝しながらという通学ではなく、

満員電車に押しつぶされそうになりながらの過酷な通学だったそうです。

週2回あった朝練に参加するためには始発に乗り、放課後の練習が終わって帰宅するのは夜の9時を過ぎるのが日常でした。


並木選手は当時について、

「明け方まで運送業の仕事をする父が電話で母を起こして、母は毎日お弁当を作ってくれました。3年間ボクシングに集中できたのは両親のおかげです」

と両親に対する感謝を語っています。

JKボクサーとなった並木選手はその後、目を見張るような快進撃を始めます。

高校に入学した年の2014年、1年生ながら「全日本女子選手権ジュニアの部ライトフライ級」で優勝。

翌年3月に行われた「全国高校選抜フライ級」でも優勝を飾り、同年11月にブルガリアで行われた「バルカン国際トーナメント」でも優勝しました。

そして、2016年の「全国高校選抜フライ級」でも優勝して2連覇を達成。

並木選手は高校時代、全ての全国大会で優勝し、負けなしの27戦27勝15KOという圧倒的な成績を残しました。

ヘッドギアを付け、大きなグローブを使用するアマチュアボクシング、

しかも女子ボクシングの世界において27戦15KOというのは、相当なハードパンチャーであるとされ、

「倒し屋」という異名が付くようにもなりました。

27戦無敗という圧倒的な強さを身に付けられた背景には、那須川天心選手とのスパーリングがあったとされます。

女子ボクシングの強豪である花咲徳栄に在籍していたとはいえ、選手の数自体が全国的に少ない中、

さらなるレベルアップを行うためには、高校時代は男子とやるのが基本となっていました。

高校3年生ともなると、もはや敵なし状態だった並木選手は、週2回ほど千葉県の松戸市にある那須川選手の練習場へ出稽古に行っていたそうです。

その頃から神童と謳われていた那須川選手のもとでは、非常に高いレベルの練習ができたとのこと。

那須川選手は並木選手に対し、「今の月海が負けるところは想像できない」と絶賛していました。

日本女子初のオリンピックへ

2017年4月には自衛官となり、自衛隊体育学校に進みます。

また、2018年の世界選手権で銅メダルを獲得。

そして2019年3月には、ヨルダンで行われたオリンピック予選で準優勝を飾り、ボクシングでは日本人女子初のオリンピック出場が内定しました。

オリンピックが開催されるまでの間は自衛隊体育学校での練習に加え、那須川選手とスパーリングをすることもあったそうです。


オリンピック前には、SNSやLINEなどでやりとりしていたようです。

ちなみに、並木選手はオリンピックで金メダルを獲ったら、

「食事をごちそうしてもらう」と那須川選手に約束してもらっていたようです。

結果は銅メダルでしたが、食事はどうなったのでしょうか?

まとめ

いかがでしたか?

並木選手の活躍の影には、幼なじみである那須川選手との交流があったようですね。

幼馴染であり、同じ格闘技界に身を置く者同士、お似合いのように見えますが、並木月海選手はインタビューで那須川選手との恋愛について、

「さすがにちょっとないですね。結婚相手は逆に格闘技とかやっていない、優しい人とかがいいかなぁ。」

と語っていました。

非常に仲の良い二人ですが、恋愛相手としては全くの眼中外のようです。

また、那須川選手が最近になってボクサーに転向することを発表しましたが、これについて並木選手は

「まだ天心は本業じゃないので、今のうちに顔に5〜6発くらい入れてやろうかな」と語っていました。

今後も2人で、お互いを高め合っていけると良いですね。

並木選手と那須川選手の、今後のさらなる活躍に期待したいします。