独自のルールを設け、ストレスが溜まった時には後輩や年下のメンバーに当たったりしたことを、自ら明かしています。
モーニング娘。で初代リーダーを務めていた中澤裕子さん。
今は福岡県で暮らしています。
彼女はモー娘。時代、非常に怖いリーダーだったのだとか。
OGメンバーも、皆口々に「とにかく怖かった」と語っています。
ということで今回は、モー娘。時代の中澤裕子さんのエピソードを紹介していきます。
人ではなく鬼
中澤さんがリーダーを務めていた頃のモー娘。メンバーは、もう全員グループを卒業しています。
それぞれいい歳にもなったので、「今だから言える話」となっているのでしょう。
そして、中澤さん自身もモー娘。時代について、「あの頃は、人じゃなくて鬼だった」と言うほど。
中澤さんがリーダーを務めていた時、モー娘。内には独自のルールが多数存在していたそうです。
そもそも初代モー娘。は、オーディション番組『ASAYAN』で最終審査まで残ったものの、
グランプリになれなかったメンバーの寄せ集めで作られたユニットです。
プロデューサーのつんくさんが、「CDを手売りで5万枚売ったらメジャーデビュー」という条件を出し、
その条件を達成したため、「モーニングコーヒー」という曲でメジャーデビューすることに。
そんな中で中澤さんはモー娘。結成時、すでに1人だけ20代で、唯一社会人を経験していました。
周りは中学生や高校生ばかりで、「若い子に負けたくない」という気持ちもあったのかもしれません。
年上だからなのか、当時のモー娘。には中澤裕子さん目線のルールがたくさんあったそうです。
例えば「楽屋でバナナ禁止」というルール。
作られた理由は単純に、中澤さんがバナナ嫌いだから。
バナナそのものはもちろん、バナナを使っている食べ物なども一切禁止で、
差し入れなどでバナナをもらったときには、中澤さんのマネージャーが一目散に片付けていたそうです。
しかもそのあと、窓を開けて換気までする徹底ぶり。
そんな中で辻希美さんは、廊下で隠れて食べていたそうです。
また、中澤さんは自分の前を誰かが歩いていること、自分の前に誰かがいることが許せないと思うタイプだったようです。
モー娘。の初期メンバーはそのことを知っていたので、中澤さんに道を譲るのは暗黙の了解だったそうです。
しかし、後から新しく入ってきたメンバーはそんなこと知りません。
ただ歩いていただけで、中澤さんからドスの効いた声で「邪魔!」と言われたメンバーもいたそうです。
この『暗黙の掟』のため、エレベーターでは中澤さんが一番先に乗り、一番先に降りるのが当たり前に。
つまり、エレベーターの中で他の人たちがUターンしなくてはならないということ。
また中澤さんのこだわりは、移動する際に乗る車の座席位置にも影響を及ぼしていました。
中澤さんは人が前にいるのが嫌な性格をしているので、移動車でも座る場所は一番前。
初期メンバーは中澤さんのこだわりを知っているので、中澤さんの席に座ることはありませんでした。
しかし、追加メンバーとして加入した後藤真希さんは当時そのルールを知らず、
一度だけ中澤さんがいつも座る場所に座ってしまったことがありました。
中澤さんは、後藤さんを無言で睨みつけ、後ろの席に追いやったのだとか…。
後藤さんも、「これはマジでヤバいやつだ」と感じたそうです。
このほか、楽屋で靴を脱ぎ散らかしたメンバーに、中澤さんはきつく叱っていました。
他のメンバーが、「そこまでキツく叱らなくてもいいのでは?」と思ってしまうほどだったそうです。
安倍なつみさんは、その時の様子を「とにかく怖すぎた」と語り、
辻希美さんは「中学の先輩みたいで怖かった」と言っていました。
不仲説の原因
モーニング娘。は、女性アイドルグループとして1990年代後半〜2000年代前半に大ブレイクしました。
特に後藤真希さんが加入してからのモー娘。は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでブレイクしていきました。
しかしその裏側で、女性グループならではの『不仲説』も囁かれていたのです。
アイドルグループはやはり目立ってナンボという世界ですし、いかに自分のパートを増やせるかも重要とされます。
中澤さんにまつわる恐怖エピソードの数々も、そういう女性グループ内でのマウント取りに必死だった故なのかもしれません。
実際、当時のモー娘。内の不仲説は、ほとんどが中澤さんが原因だとされています。
これについては中澤さん自身が、
「余裕がなくなると、後輩や年下の子に当たってた」と、
自分のせいでグループ内の雰囲気が悪くなっていたことを認めています。
ミキティとゴマキから見たリーダー
一度ソロデビューした後にモー娘。に加入した藤本美貴さんと、加入の経緯がかなり異例だった後藤真希さん。
特に後藤さんの方は、加入していきなりセンターを飾ったのは、多くのファンに衝撃を与えました。
デビューした年齢が違うものの、藤本さんと後藤さんは同い年。
この2人に、松浦亜弥さんを加えた3人のユニット『ごまっとう』が結成されたりもするなど、この2人は何かと関わりがありました。
そんな藤本さんと後藤さんは、2002年のあるライブツアーで、中澤さんを入れた3人で回っていました。
当時何があったのか詳しくは分かりませんが、藤本さんも後藤さんも
「超怖かった。もう二度とやりたくない」と言っています。
藤本さん・後藤さんに比べて、中澤さんは年齢が一回りほど離れており、あまり話も合わなかったそうです。
ピリピリした雰囲気でツアーを回るのは、相当ストレスだったと察します。
ただ、中澤さんは当時のモー娘。メンバーの中で唯一の20代であり、唯一社会人を経験していました。
社会人としてのあり方や、社会の厳しさのようなものを、若いメンバーに教えていたのかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?
当時から強面で他の子を叱っているイメージの強かった中澤裕子さんですが、独自のルールを設けるなど、自分勝手な振る舞いも多かったようです。
今だから暴露できるエピソードも多いですが、当時は相当怖かったみたいですね。
とはいえ、当時の横暴ぶりは中澤裕子さん本人も認めていて、反省しているようです。
かつてのモー娘。メンバーが、またどこかで集まるところも見てみたいですね。