結論

4歳の頃から中国のチャンピオンの人に英才教育を施され、幼稚園の頃から小学生の大会で優勝するようになっていきました。

幼少の頃から「泣き虫愛ちゃん」として、卓球界を牽引してきた福原愛さん。

幼少期からの英才教育もあり、オリンピックで多くのメダルを獲得しました。

そんな彼女が、泣き虫愛ちゃんからオリンピックメダリストになるまでをご紹介します。

英才教育

福原さんが卓球を始めたのは4歳の頃です。

父親は仙台市で会社経営をされており、母親は元卓球選手です。

もともとは10歳年上の兄が、東京に住んでいた中国の卓球の元チャンピオンに仙台に来てもらい、月に2回ほどの指導を受けていたことが始まりです。

もう少し本格的に指導してもらいたいと考えた父親は、指導者である中国の元卓球チャンピオンに、

費用面から仙台に移住してもらい、毎日指導してもらえるように環境を整えました。

そして、4歳から母親よりラケットを渡され、英才教育を受けることになります。

もう少し厳密に言うと、「3歳9か月」から練習を開始したようです。

しかし4歳ごろの身長では、卓球の台に届きません。

なのでこの頃は、ゴミ箱や並べた缶詰の上に乗って練習していたようです。

そして平日に4時間、休日に8時間の練習を毎日欠かさず行います。

また、週末になると栃木県の有名な卓球クラブに出向き、泊まりがけで練習していたようです。

そして、幼少期からその才能は開花を始め、練習を始めてから数ヶ月経った頃にはミスなく100本ラリーができるようになったようです。

そして、4歳6か月の頃には1,000本ラリーができるようになります。

卓球の天才「泣き虫愛ちゃん」

初めて福原さんが公式戦に出場したのは、4歳5ヶ月頃の時。

まだ幼稚園生でしたが、出場した大会はなんと宮城県の小学生の大会です。

そしてなんと、福原さんはその大会で優勝し、全国大会ベスト16にまで進出しました。

幼稚園生が小学生の大会で優勝し、全国に進んだというのはとてつもない偉業でしょう。

しかしこの時の公式戦で敗けた時、福原さんは悔し涙を流したそうです。

この大会以降、福原さんは一気に注目されるようになりました。

また、厳しい練習にも泣きながら耐える姿や、試合中に不利になり始めると泣き出す姿から、

「泣き虫愛ちゃん」とも呼ばれるようになり、一躍人気者になります。

この頃から、バラエティー番組にも出演するようになる福原さん。

そして、明石家さんまさんやデーモン小暮閣下と試合した時にも、バラエティ番組での企画による試合にもかかわらず、泣いてしまいました。

この姿が、視聴者の間でも話題になり、視聴率アップにつながっていたそうです。

ちなみに、母親が関係者に簡単な泣かせ方をレクチャーしていたとのこと。

プロ転向

福原さんが小学4年生にして、プロへ転向します。

ミキハウスと専属契約を結び、1998年8月に仙台市から大阪府八尾市へ引っ越しました。

その後、青森山田中学に進学。

本来プロの選手は中学の大会やインターハイに出場できませんが、福原さんは特例として可能になります。

以降、中学の3年間は世界各地のITTFプロツアーに数多く出場し、安定した成績で世界ランキングを上げていきました。

この頃、国内の高校生以下の大会ではほぼ無敵の強さを見せており、また国際試合は国内シニアの選手にも勝てるようになっていました。

選考会などを経て、14歳の若さで2003年に世界卓球選手権に出場。

ベスト8に進出しました。

これにより翌2004年3月の世界選手権団体戦と、4月のアテネオリンピックアジア予選への出場も決まりました。

高校は青森山田高校へ進学。

その後も破竹の勢いを重ね、小学生時代からの目標だった2004年のアテネオリンピックに出場が決定。

4回戦まで勝ち上がりました。

福原さんが出場する試合の視聴率は、平均20.1%、最高視聴率31.9%を記録しています。

中国への武者修行

2005年3月、ミキハウスとの契約が満了となった後、福原さんは中国リーグに参加します。

そして、中国で最もレベルが高いリーグに参加し、遼寧本鋼チームと契約することになりました。

このチームには、当時の世界ランク2位と4位の選手も所属していました。

シングルスでの出場機会はありませんでしたが、ダブルスで活躍していきます。

中国でも「福原さん」は人気となりました。

2007年には、早稲田大学スポーツ科学部に進学。

2008年には世界ランキングを10位に伸ばし、北京オリンピックにも出場。

しかし、メダル獲得には至りませんでした。

その後、2009年4月で早稲田大学卓球部での活動を休止し、海外で行われるITTFプロツアーを中心に出場。

日本のサンリツという会社の卓球部の一員として、日本リーグに参戦しました。

そして、2012年のロンドンオリンピック、シングルスでは準々決勝で世界ランク1位の中国の丁寧選手に負けましたが、ダブルスで悲願の銀メダルを獲得。

日本卓球史上初の銀メダルでした。

続く、2016年のリオデジャネイロオリンピックにも出場。

この頃には、女子の中で最年長での代表入りとなりました。

シングルスでは3位決定戦に敗れ、メダルを逃しましたが、ダブルスで銅メダルを獲得します。

そして、2017年に現役を引退となりました。

まとめ

幼少期から英才教育を受け、オリンピックでメダルを獲得するまでになった福原さん。

今でも幼少の頃の面影が頭から離れず、結婚したことが不思議に思っている人もいるのではないでしょうか?


2021年7月に離婚を発表。

不倫疑惑が飛び交うなどしましたが、これを乗り越えてさらなる活躍に期待したいですね。