結論

6歳の頃からお父さんの影響でスケボーを始め、小学2年生の時点でハーフパイプが行えるほどの実力になりました。

東京オリンピックから新しく加わった種目「スケートボード」において、初代金メダリストに輝いた堀米雄斗選手。

地元は東京都江東区なのですが、その地元の会場で金メダルを獲得したのです。

そんな江東区で、小学生の頃からスケボーの実力は折り紙付きだったという堀米選手。

彼の故郷であり、金メダル獲得のメモリアルな地となった江東区での堀米選手のエピソードをご紹介していきます。

スケボーを始めたきっかけ

堀米雄斗選手がスケボーを始めたのは、6歳の頃。

最初は立って乗ることはできず、座って滑らせて遊んでいたそうです。

きっかけは、お父さんの影響でした。

堀米選手のお父さんも、昔スケボーをやっていたのです。

お父さんは中学1年からスケボーを始め、大きな大会で入賞するほどの実力だったのだとか。

しかしお父さんは、結婚する時に『スケボーを辞める』ことを約束してしまい、一時は自分がスケボーをやることは控えていたそうです。

それでもお父さんは、スケボーを諦めきれなかったのでしょう。

表向きは堀米選手の『子守り』として、公園に連れ出しては自分がスケボーを楽しんでいたそうです。

最初は遊びで乗っていただけの堀米雄斗選手ですが、次第にその実力が開花し始めます。

なんと小学2年のときには、すでにハーフパイプが行えるほどの実力になりました。

お父さんはいつからか、自分がスケボーを楽しむことよりも、「雄斗選手にスケボーを教えること」に夢中になっていったそうです。

そんな堀米選手も中学生になると、海外遠征も積極的に行なってどんどん実力を上げていきます。

高校入学時、聖進学院の学院長にまず確認したのは、スケートボードを持って登校しても良いかどうかでした。

その理由は学校が終わった後、北千住の練習場にスケートボードを持って行くため。

一度家にボードを取りに帰ったらその分練習量が減ってしまうと考えたからです。

学校側は、「路上でスケボーに乗らないこと」を条件に許可してくれました。

高校を卒業するとそれと同時に、「本場で活動しないと注目してもらえない」と考え、活動拠点をアメリカのロサンゼルスに移します。

翌年の2017年には、プロを目指すため、プロリーグの中で最高レベルの大会とされる「Street League WORLD TOUR」にアマチュアとして出場。

表彰台に立つなどの活躍から見事プロ認定を獲得しました。

2018年には「Street League WORLD TOUR」優勝を果たし、5月から行われている大会から3戦連続優勝という日本人初の快挙も成し遂げています。

誰にもできない技の習得

堀米選手は、スケボーを始めた当初から才能があったわけではありません。

お父さんいわく、「同じくらいの年齢でスケボーを始めた子の中では、一番覚えが悪かった」とのこと。

しかしそれは、お父さんがひたすらスケボーの基礎を重点的に教えていたからに過ぎませんでした。

お父さんは、新しい技を教えるよりも、基礎を徹底的に叩き込むことに重きを置いていたのです。

そのため、最初の頃は周りに遅れをとっていた堀米選手ですが、次第に周りよりも実力をつけていきました。

お父さんのスケボー指導は決して甘くはなく、自分でもスパルタと認めるほど。

最初にスケボーの厳しい部分を徹底的に教えこみ、それで嫌になれば辞めてもらっても構わないと思っていたそうです。


そんなお父さんの期待に応えるかのように実力をつけていった堀米選手は、小学生の時点でハーフパイプができるようになったのは先ほどご紹介した通りです。

さらに堀米選手、小学生のときには「人とは違う技」「誰にもできない技」の習得にチャレンジしていました。

小学生で「人とは違う技をやろう」とは、なかなか思えるものではありません。

そういう発想や向上心がないと、世界で戦えるアスリートにはなれないといったところでしょうか?

靴はガムテープで修理

堀米選手は、小学生の頃からスケボー界では名の知れた存在でした。

中学生の頃には、すでにスポンサーもついていたそうです。

スポンサーがつくと、物販の援助をしてもらえるので、靴やボードなどのいわゆる消耗品の心配はなくなるように思えます。

しかし堀米選手、なんとそんな中学生の頃は壊れた靴をガムテープで修理して履いていたのだとか。

スケボーで使う靴は、1週間に一度は履き潰していたそうで、スポンサーも物販が追いつかなかったのでしょう。

靴も1万円くらいしますし、それを毎週買うのは簡単なことではありません。

堀米選手の家は至って普通で、特別裕福な家庭ではありませんでした。

お父さんは運転手をしていて、同僚の車を洗うバイトをしたり、堀米選手の海外遠征費用は国内大会での賞金を充てたりしていたそうです。

スポンサーがつくのはありがたかったと思いますが、物販の支給が追いつかずにガムテープで修理していたとは意外でした。

1週間に1足履き潰すほど、中学生の頃からハードな練習をしていたのでしょう。

将来の夢

堀米選手は高校生の時から、「スケートボードの本場のアメリカに行って10億円稼ぐ」といつも宣言していました。

そして人並み外れた練習をこなし続け、高校卒業と同時に渡米し、スケボーの本場に身を置きながら技を磨き、存在感を示していきました。

日本では競技としてまだ成熟していないスケートボードですが、アメリカではすでにスポーツとしての地位を確立しており、

数億円稼ぐスケーターもいるほどの人気となっています。

そんなスケボー先進国において、トップスケーターとして認知されている堀米選手はすでにかなりの収入を得ているようです。

先日も日本のテレビ番組でアメリカのロサンゼルスに購入した自宅を公開していました。

1億円を越える豪邸で敷地は540坪もあり、開放感のあるリビングにはビリヤード台が置かれ、友達と楽しんでいるとのこと。

広大な庭にはスケートボード場も備え付けられており、新しいトリックや他のパークでやらないことを練習しているそうです。

自宅にスケートボード場があると、新しいことを思いついたらすぐ試すことができるので、そのアイディアをすぐ形にできるというメリットもあるようです。

高校生がアメリカに渡り、1億円を超えるような豪邸を建てて高額な収入を手にする。まさにアメリカンドリームですね。

まとめ

堀米選手は現在、スケボーの本場アメリカを拠点に活動しており、そこではスケボー仲間とルームシェアをして生活しています。

そんな堀斗選手が小学生の頃に描いていた夢は、『アメリカでスケボーのプロになる』こと。

子供の頃の夢を叶えるのは簡単なことではありませんが、堀米選手はすでに叶えているのです。


2018年には世界最高峰の『ストリートリーグ』で、日本人初の優勝を飾り、そこから3連勝。

オリンピックでは金メダルも獲得し、次はどんな快挙を達成してくれるのか非常に楽しみです。