結論

50人の暴走族に襲われたり、アウトレイジのような人に拳銃を突きつけられるなどされた挙句、少年院に入った経験もあったそうです。

人気格闘家の朝倉未来選手が、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で驚愕のエピソードを語りました。

5月4日の深夜に放送されたその番組では、彼の驚くべき過去が次々と語られました。

そしてヤンチャすぎる自身の過去を振り返って、ヤンキーたちに熱いメッセージを送ったのです。

朝倉選手が残した数々の伝説などをご覧ください。

プロフィール

朝倉選手は1992年7月15日生まれの、愛知県豊橋市出身です。

少年時代は極真空手や相撲を習って体を鍛えていました。

高校に進学した後、傷害事件を起こして退学処分に。

その後は名古屋で社会人として生活しながら、地元の豊橋で暴走族の副総長として喧嘩に明け暮れていきます。


そんな日々の中で、無免許運転で逮捕されたことも。

少年院に送られ、1年4ヶ月の日々を過ごします。

退院後は格闘家を志し、禅道会豊橋道場に入門することになります。

名古屋の地下格闘技団体、黒王や「DEEP」への参戦を経て、2013年からは弟の朝倉海選手と共に「THE OUTSIDER」に参戦しました。

2015年には「THE OUTSIDER」36戦の65-70級タイトルマッチで王者の吉永啓之輔選手に挑戦し、KO勝ちを収めて王座を獲得しました。

数々の伝説!

「しくじり先生」では冒頭に、「ヤンチャをしている人が死なないための授業をしたいと思います」と前置きし、朝倉選手は初めからスタジオをざわつかせました。

そして朝倉選手が語る数々のエピソードに、スタジオ内も視聴者も驚愕せずにはいられませんでした。

学生時代、「自分が最強」だと思っていた朝倉選手は、先輩に対して敬語を使う理由がわからなかったそうです。

そのためずっとタメ口で話していたところ、ある日先輩から呼び出されてしまいました。

しかし負けず嫌いの朝倉選手は、その先輩を返り討ちにしたのです。

「すると、どんどん強い奴が来て、喧嘩してたけど勝ち続けていました」とのこと。

しかし、勝てばまた強い相手が現れると言った具合で、終わることのない無限ループに陥っていたのです。

ある日、3対3で喧嘩の約束をして現場に行ったところ、50人の暴走族に囲まれてしまうことに。

念のため自分を含めて10人で向かったのですが、そのうち8人は恐れをなして逃げ出し、2人対50人で戦うことになりました。


しかし多勢に無勢、朝倉選手がどんなに強くとも大勢を相手にしては勝てるわけがありません。

1人を相手にしているうちに、もう1人に後ろから鉄パイプで殴られて意識が遠のく中、ボコボコにされてしまいました。

その時の怪我が元で、左目はほとんど失明状態になってしまったそうです。

なんとも凄まじい乱闘騒ぎですが、話はこれだけでは終わりません。

リベンジするために別の暴走族に入り、2〜3ヶ月で全員倒してしまいました。

さらに刺激を求めた結果、アウトレイジのような人物に拳銃を突きつけられる、という驚きのエピソードも明かしました。

散々ヤンチャを重ねた結果、ついに16歳で少年院に入ることになってしまいました。

「両親は泣いていましたけど、いつかは行くと思っていました。でも、この時に逮捕されて良かったと思っています。逮捕されていなければ上半身に刺青を入れる予定でした。極道を極めようと思っていましたから」と当時を振り返りました。

少年院の思い出については、「少年院は地獄でした。喧嘩三昧だった頃と生活が真逆なんですよね。ルールを守らない生活をしていましたが、規則正しい生活になりました」と語りました。

これが彼の人生を変えたと言っても、過言ではないようです。

少年院に入っている間に、毎月のように届く母親からの手紙に次第に心を動かされていきました。

少年院時代に学んだことは、『大切な人を泣かせてまでヤンチャする意味って何?』ということ。

「自由に生きてきましたが、親が泣いているのを見て、自由を履き違えていた」と、これまでの行為の虚しさを痛感したのでした。

まとめ

学生時代、喧嘩三昧の生活を送っていた朝倉選手。

喧嘩をするたびにさらなる刺激を求め、終わることのない無限ループに陥りました。

そして最終的には、逮捕されて少年院へその送られることになってしまいました。

それでも初めのうちは、「箔が付く」ぐらいに思っていたそうです。

少年院に入ってからもルールを守らず、しばしば単独寮に入れられたそうです。

そんな彼の心を動かしたのは、毎週のように来る母親からの手紙でした。

「自由を履き違えていた。大切な人を泣かせてまでヤンチャをする意味ってある?」と気がついたのです。

そして1年4ヶ月の少年院生活を終える頃には、迎えに来た母親の運転が危ないと思えるまでに、世間のルールを身につけた人間に生まれ変わったのです。

彼は最後に、「法律を守らない自由は誰かを悲しませている無責任な自由。周りを悲しませずにやりたいことを見つけることが大事と思いました。不良って負けず嫌いが多くて、方向性を変えれば成功する人は多いと思うので、やる前から諦めずに何でも挑戦していって欲しい。挑戦することをやめないでください」とメッセージを送りました。