結論

「志村さんには何でも話せる」と生前に語っていたことから、自殺の原因の因果関係として志村けんさんをあげる声もあります。それだけ2人の絆は深いものでした。

2022年5月11日、上島竜兵さんが61歳で死去したという衝撃のニュースが世間を駆け巡り、誰もが驚愕しました。

自宅マンションで家族が発見し、病院に運ばれましたが、搬送先で死亡が確認されています。

死因は自殺とされており、遺書なども無いことから悲劇の理由は判明していません。

そんな上島さんは、2020年3月に世界中で蔓延した新型のウイルスにより亡くなった、

志村けんさんと非常に仲が良かったことが有名で、2人は20年以上にわたって師弟関係を築いていました。

「竜ちゃんがいてくれてよかった」

と志村さんが言っていたことも有名で、テレビの中だけではなく、プライベートでも仲がよかったそうです。

今回はそんな2人のエピソードを紹介していきます。

2人の出会い

上島さんは身体を張った芸風で知られており、

「聞いてないよぉ」「どうぞどうぞ」などのギャグが有名です。

そんな上島さんと志村さんは、1996年の秋に出会ったと言われています。

きっかけは共通の友人だったプロレスラーの川田利明さんで、深夜に川田さんが志村さんと飲んでいるとき、

「君もおいで」と誘ったのがきっかけだそうです。

当時の上島さんは志村さんと会ったことが無いのを理由に誘いを断りましたが、何度も川田さんから電話がかかってきました。

最終的に「しつこい!」と上島さんが怒ったら、電話口に志村さんがいたそうで、結局謝罪をしに誘いを受けたそうです。

この出来事が縁となって、上島さんは『志村けんのバカ殿様』にスカウトされ、出演することになりました。

当初はゲストとして出演していたものの、能力を認められて志村さん演じるバカ殿の家来として抜擢されます。

上島さんは、今ではお笑いトリオ『ダチョウ俱楽部』として有名ですが、元々は役者志望だったそうで、そんな彼の演技力も志村さんは評価していました。

志村さんと繰り広げられるコントはお茶の間で名物となり、2人は公私共に師弟同然の関係だったそうです。

互いにかけがえのない関係だったようで、志村さんは上島さんに対し、厳しく接していたとのこと。

上島さんはそんな志村さんを心から慕い、プライベートで共に飲む姿も度々目撃されていました。

心温まる師弟エピソード

2人は、港区麻布十番街という志村さんお気に入りのスポットで酒を交わす姿がよく知られていて、朝方まで飲むこともしばしばあったそうです。

ダチョウ俱楽部の持ちネタ「どうぞどうぞ」を一度控えていた時期がありましたが、再開したのも志村さんの助言によるものだといいます。

「マンネリと呼ばれても続けることが大切」

と言われ、めげずに持ちネタを使い続けた結果、現在のように世間によく知られる人気のギャグとなりました。

上島さんは自分のことを「子分肌」と語っていますが、先輩後輩共に慕われる人懐っこい性格です。

志村さんとは連日一緒にいることもあり、地方ロケから帰る際にも

「これから飛行機に乗ります」と連絡していたとのこと。

それほど会う頻度が高かった2人ですが、上島さんの方からは誘えなかったと言っています。

誘おうとして志村さんの家に電話をしても、志村さんが電話に出るとすぐに電話を切ってしまい、とにかく緊張していたそうです。

何度かこのようなことを繰り返していると、志村さんは

「最近いたずら電話が多い」と上島さんに愚痴を漏らしましたが、電話は自分がかけたと言い出せなかった模様。

上島さんにとって志村さんは、芸だけではなく人としても師匠だったようで、良いことも悪いことも教えてもらったと語っています。

「自分の芸はフリの力によって成り立っている」

という言葉からは、上島さんが周りの人間を大切にしていることが分かります。

志村さんは上島さんを家に招待したことがあり、自宅では手料理をふるまっていたそうです。

また、志村さんの実家に連れて行ったこともあったそうで、愛情を注いでいたことがうかがえます。

志村さんと上島さんの奥さんも仲が良かったようで、上島さんの家にちゃんこ鍋を作りに行ったこともあったとか。

そして、世界中で蔓延した新型のウイルスで志村さんが亡くなったときは、翌日公式ブログを

「志村けんさん」というタイトルで更新。

「公私ともに本当にお世話になりました。志村さんがいたからダチョウ俱楽部がある」

と感謝を示しています。

「今、ただ切なくて悔しいです」と行き場のない感情を漏らす記述もありました。

番組内でも、

「ショックでふと思い出して涙ぐむことがある」

と悲しみを吐き出しており、それだけ志村さんが上島さんにとって大きな存在だったことが分かります。

死去から2年が経過してもまだ実感が無いと、寂しそうに笑っていました。

志村さんが面倒をよく見てくれたことがきっかけで、上島さんはまだブレイク前の若手芸人を飲みに誘っていたそうです。

ですが、このご時世では飲む機会も少なくなり、志村さんが亡くなってからはよく

「寂しい」とつぶやくようになりました。

上島さんが亡くなったのは志村さんの命日が近かったこともあり、因果関係を囁く人もいます。

「志村さんには何でも打ち明けられる」

と語っていた上島さんは、相談相手がいなくなり、悩みを抱え込んでしまったとも言われています。

自殺の原因は明らかにはなっていませんが、最近では著名人の自殺が報道される機会が増えており、

「芸能界の闇だ」という噂が流れました。

ですが、上島さんがお茶の間の人たちを笑顔にし、元気づけ、みんなから愛されていたことは事実です。

また、上島さんは仲の良い後輩芸人・有吉弘行さんに志村さんについて話を振られています。

「志村さん、上島さんのことを呼んでいるんじゃないですか?『竜ちゃん、寂しいよ』って天国で」

と言われ、上島さんはこう返しています。

「呼ばれても死にたくないってはっきり言うよ。嫌だよ!尊敬しているけど嫌だよ」

このやりとりは、2022年1月時点のものです。

有吉さんが、上島さんの様子がいつもと違うのを感じ取って発した言葉とも言われています。

それほど志村さんと仲が良かったのが分かると同時に、やはり突然の死には志村さんとの因果関係があるのではないかと囁かれてしまいました。

まとめ

上島竜兵さんと志村けんさんは、世間が思っている以上に強固な絆で結ばれた師弟関係でした。

2人とも日本のお笑い界をけん引してきた功労者で、だからこそいなくなった現在は日本全体が喪失感に包まれています。

上島さんは、ウイルスの感染拡大により暗くなっていた世の中を明るくするため、このようなメッセージを記したことがありました。

「今は大変で苦しくてもいつか絶対終わります。人間生きてこそです」

「辛いときは、『志村けんのバカ殿様』『志村けんの大丈夫だぁ』などの色々な志村作品を見れば、絶対に笑顔になれます」

志村さんのことを、本当に慕っていたことが分かる励ましの言葉です。

上島さんを悼むコメントには、

きっと志村さんと竜ちゃんは天国で2人で飲んでいる」

「来るの早すぎだろって突っ込みされてるんじゃないかな」

という文もあり、天国で笑っていてほしいという世間の願望を感じさせました。

それでも、ツラい世の中を前向きに生きてほしいと発信した当人が亡くなったことに、今でも世間はショックに包まれています。