コメンテーターやタレントとして活動している坂上忍さんですが、過去に事故を起こして逮捕されていました。
『フジテレビのお昼の顔』と言えば坂上忍さん。
俳優、タレント、映画監督、司会者コメンテーター、エッセイストとして幅広い活躍の場を持っている。
かつては、ロック歌手として活動してたがテレビでは度々いじられている事が多い。
毒舌キャラとしても名を知れている。
そんな坂上忍さんの生い立ちを紹介します。
幼少期〜学生時代
1967年6月1日東京都杉並区西荻窪出身。
4歳上の兄が劇団に入っていた頃、九州から上京した父方の祖母亡くなり忍が閉じこもりがちになったため劇団で友達を作らせた方がいいとの教育方針で、2歳8ヶ月で所属しテレビドラマの子役としてデビュー。
石井ふく子プロデュース作品で頭角を現し当時【天才子役】と評された。
父は、福岡県大牟田士出身(ほんせきは熊本県玉名郡)小天村現在の玉名市で業界紙の記者だったが小説家になるために新聞社を退職し、出版社を立ち上げたが出版社経営に失敗し倒産している。
母は、山形県山形市出身で東京都新宿区歌舞伎町で飲食店を経営している。父のギャンブル癖もあり、坂上忍が杉並区桃井第三小学校高学年時から杉並区荻窪中学時代まで暴力団が家まで借金の取り立てに押し掛ける環境で育っている。
15歳で両親は離婚しているが、母親が父の借金の連帯保証人だったため中学でやめる予定だった子役の仕事を返済のために続け母は、3つも仕事を掛け持ちし昼夜問わず働いた。
有名人ゆえに苦労し自殺を考えたことが100回以上あるが14歳で個人事務所を立ち上げ中学卒業後もテレビ・映画・舞台などで活躍した。
東海大付属高輪台高等学校に入学するも、芸能活動で卒業に必要な日数を出席できず困難だと判断し入学式当日に取っ組み合いの喧嘩になり退場後自主退学となった。
厳しい講師
その後は役者業から逃げる口実として1984年に音楽の道へ一時転身。しかし、取材の多さに苦痛を感じ子役のイメージからなかなか抜け出せずにいたが映画監督相米慎二から「お前は宇宙人だ何を考えてるのかわからない。」「役者は決まったセリフでするんじゃない。自分で考えろ。」と言われ役者の面白味に目覚めた。
1988年のクレイジーボーイズと言う映画のヤクザ役が転機になって様々な映画や舞台に挑戦する。
2005年に、自ら構成・演出を勤める演劇集団「コントレンジャーズ・オニオンスライス」を旗揚げし2009年6月1日に、芸能スクール・アーティストの発掘育成プロダクション「アヴァンセ」キッズアクタープロダクションを開校そして並行してネオモデルタレントスクールの特別講師も担当。
所属の生徒達に、厳しく指導している背景が放送されたたが坂上はこれに関して、自身が子役だった時の気持ちや矛盾などを理解していることから、スクールを開く勇気が持てたと語っていた。
この厳しい指導の背景は、これまで多くの子役が大人になることで仕事を失っていくという厳しい現実を目の当たりにしてきたことや、自身が監督した映画のオーディションでの子役の画一的な挨拶・演技に対し違和感を覚えたことから、「うわべだけの芝居を教えても、将来まったく役に立たない」との思いがあり、子役に対しても大人の役者と同じ対応をとった上で「追い込んで追い込んでそれが解放された時に多分お芝居の面白さとかっていうのは、子供でもちゃんと感じていただけると思ってる」とその理由を語っていることから、彼なりのやり方で社会の厳しさや芝居の面白さを伝えてるのではないかと思う。
過去に起こした事故
2012年フジテレビ『笑っていいとも!』内のコーナーに出演した際、ブスは嫌い等と毒舌を吐いたことでバライティ番組への出演が増えニホンモニター社2014年上半期タレント番組出演ランキング総合16位になった
だが、その一方で良く思わない人もいる2019年4月にPRIMEが20~30代200人「この人は嫌上司にしたら最悪な芸能人」と言うアンケートで、1位と言う結果になってしまった。
過剰なまでの潔癖症で、10代の時から競艇場通いを続けており父の上を行くギャンブル好きも挙げられていて酒好きでも有名。
お酒好きといえば1995年1月14日、パーティーからの帰宅途中に飲酒運転の末、当時の坂上さんの愛車ベントレーで電柱に激突しました。電柱が根本から折れるほどのスピードを出していたとか・・・!
一旦車を降りた坂上さんでしたが、騒ぎに気付いた近隣住民が騒ぎ始めたとのだとか。
すると坂上さん、車が大破しているのにも関わらずその場から逃走。
パトカーに追いかけられるも
振り切ろうと走り続ける坂上さん。
カーチェイスは20分に及び、その後現行犯逮捕となりました。
さらに坂上さんの車に同情していたのは、なんと女優の山本未来さん!
そのため同時に恋愛スキャンダルにも発展。
この事件により坂上さんは活動自粛を宣言する事態となりましたが、半年後には復帰していましたね。
愛犬家で有名
坂上さんは大の犬好きで、自宅で多頭飼いをしているが要介護老犬も引き取っていて動物に対する愛情と姿勢は周囲を驚かせた。20代で都内に一軒家を購入していたが、2015年に『有吉ゼミ』の企画で千葉県内に2つ目となる家を建てた。
子役時代に共演した、役者犬のトレーナーから受けた影響に加え人生で最も飲み歩いていた時期に飼いちゃんと世話をすることも出来ないまま手放し、死に目にも会えなかった愛犬に対する贖罪の気持ちもあるのかもしれない。当時の出海宏平ドッグトレーナーを恩人と呼び『徳光和夫の感動再会!逢いたい』のスペシャル番組で再会を果たした。
2020年4月17日に自身のブログにて新型コロナウイルスの緊急事態宣言発令から解除まで個人の収入全てを何らかの形で寄付すると宣言しており翌年3月にはYouTubeチャンネル「坂上家チャンネル」を開設している。
坂上忍の毒舌キャラはこういった生い立ちから徐々に築き上げられたのかもしれない。