結論

帝京高校サッカー部では、1年生にして一軍入りしたものの、天狗になったことで3年間レギュラーになれずに終わりました。一方で、現横浜DeNAベイスターズ山崎康晃投手と3年間同じクラスでもありました。

これまでに数々の名言を残してきた、ホスト界の帝王とも呼ばれているローランドさん。

すでに現役からは退いたものの、実業家としても活動しています。

「俺か、俺以外か」という言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?

そんな彼は、高校は帝京高校出身でサッカー部に所属していました。

帝京高校といえば、お笑いコンビ「とんねるず」の2人の母校でもあり、

石橋貴明さんが野球部、木梨憲武さんがローランドさんと同じサッカー部でした。

「帝京魂」と言う言葉も、『とんねるずのスポーツ王』と言う番組などから、ずいぶん有名になりました。

数々の有名人が卒業している帝京高校で、ローランドさんはどんな学生生活を送ってきたのでしょうか?

また、その高校時代にはあるプロ野球選手と3年間クラスが一緒だったそうです。

ローランドさんの高校時代に迫っていきます。

帝京高校サッカー部時代

ローランドさんは、小学生から高校を卒業するまでの10年間、サッカーをしていました。

本気でプロを目指して練習に明け暮れていたのです。

小学6年生を対象に行われる、柏レイソルのジュニアユースのテストに合格し、中学時代に所属していました。

そして、帝京高校サッカー部よりスカウトされ、特待生として入学しました。

帝京高校というと、石橋さんや杉谷拳士選手などの影響で、野球部が強いとして有名かもしれませんが、

サッカー部もまた全国大会常連の強豪校です。

ローランドさんがサッカー選手として、どれだけ卓越した実力を持っていたのかが分かるでしょう。

実際に、彼がサッカーをプレイしている動画もネット上にはあるのですが、その上手さは評判だったようです。

帝京高校サッカー部は、全国常連の強豪校。周りの生徒たちも、みなサッカーの実力のある人たちばかりです。

そんな中でローランドさんは、なんと1年生の時から一軍入りをしていたのだとか。

しかしそのことで天狗になってしまい、練習をサボってしまうようになりました。

そこから転落するのは、あっという間だったそうです。

その後心を入れ替え、ひたすら猛練習に励みましたが、ついにレギュラーになれることはありませんでした。

ローランドさんの帝京高校3年間のサッカー生活は、ほとんど日の目を見ることなく終わりを迎えたのです。

ちなみに、ローランドさんが通っていた帝京高校サッカー部は、

生徒たちの大半が寮生活をしており、ローランドさんも例外ではありませんでした。

寮生活は様々な規則がありました。

たとえば、「門限19時」など。

高校生にはちょっと厳しすぎるのでは、と思うような規則もたくさんあったそうです。

ローランドさんは毎日ひたすら練習に励み、規則も破ることなく過ごしていました。

しかもサッカーだけでなく、勉強も力を抜きませんでした。

ローランドさんはなんと、帝京高校時代の学業成績はオール5だったのだとか。

そうして培われた頭の良さも、ホストとしての立ち回りや実業家としての実績に関わっていくのでしょう。

プロを諦めたきっかけ

ローランドさんは、帝京高校サッカー部に所属していた頃までは、本気でプロサッカー選手を目指していました。

しかし高校を卒業する前には、プロになる夢は諦めてしまっています。

彼は夢を諦めたきっかけとして、「自分の限界を感じた」と話していました。

1年生のときに一度一軍入りしているものの、その後転落し、そこからレギュラーになることはとうとう叶いませんでした。

3年間ひたすら練習に明け暮れ、小さい頃からほかの何よりもサッカーを優先してきた若かりしローランドさんにとって、

サッカーは人生の全てと言っても過言ではなかったのでしょう。

他のことを捨ててまで優先してきたサッカーなのに、レギュラーにすらなれず、限界を感じたそうです。

今でこそ自分のことが大好きと公言しているローランドさんですが、当時は劣等感の塊だったのだとか。

そしてこの時に感じた挫折から、「人生を変えたい」と思うようになったそうです。

そして一発逆転すべく、サッカーとは全く関係の無いホストの道に進むことを決めました。

つまり、帝京高校サッカー部時代の挫折がなければ、今のローランドさんはいなかったかもしれないのです。

帝京高校サッカー部は、ローランドさんにとって人生の節目だったということにもなるでしょう。

「帝京高校サッカー部で学んだことは、歌舞伎町でも忘れてはならない」とも言っていました。

3年間クラスメイトだったプロ野球選手

ローランドさんの通っていた帝京高校は、多くの有名人やプロスポーツ選手を輩出しています。

ローランドさんの代も例外ではなく、彼と3年間同じクラスだった人の中に、横浜DeNAベイスターズの山崎康晃投手がいます。

彼は帝京高校から亜細亜大学へと進学し、2014年にドラフト1位で横浜DeNAに入団。

1年目からクローザーとして活躍し、新人最多記録となる37セーブを記録して新人王を獲得。

2019年に行われたプレミア12では、日本代表のクローザーとして胴上げ投手となり、日本の世界一に貢献。

そして、2021年に開催された東京オリンピックでも代表メンバーに選ばれ、

日本の正式種目に採用されて以来初の金メダル獲得に貢献した、プロ野球を代表する投手と言える存在です。

また、山崎投手やローランドさんと同学年には、阪神タイガースで現在も活躍する原口文仁選手もいます。

そんな日本の守護神とも言うべき存在になった山崎投手と、ホスト界の帝王となったローランドさん。

彼らは現在も交流があり、ローランドさんが山崎投手が所属する横浜DeNAの本拠地、

横浜スタジアムで始球式を務めた時の様子が、ローランドさんのYouTubeチャンネルに上がったりしています。

ローランドさんが、帝京高校のサッカー部でレギュラーになれなかったのは、先ほどまでにご紹介した通りでしたが、

彼とずっと同じクラスで、のちにプロ野球選手になる山崎投手もまた、高校時代はずっと控え選手でした。


また山崎投手に至っては、部内での人間関係にも悩んでいたようで、野球を辞めようとしたことすらあったようです。

しかし、山崎投手の明るい性格や身体能力の高さをかっていたローランドさんは、

「彼にはどうしても野球を続けて欲しかった」と思っていたとのこと。

そのため、「野球続けなよ、絶対に成功するからさ」と、何度も励まし続けていたそうです。

その甲斐もあって、長らく控え選手だった山崎投手も最後の夏の大会は、

彼の部内における人間関係の悩みの種だった存在、

山崎投手をいじめていた番長的存在の選手を押しのけて、エースナンバーを背負うことができたのでした。

ローランドさんは山崎投手の活躍はとても刺激になると語っていますが、

そんなローランドさんと過ごした日々があったからこそ、今のプロ野球の世界で活躍する山崎投手がいるのかもしれません。

ちなみに、先ほどご紹介したようにサッカー部でありながらも学業成績オール5だったローランドさん曰く、

山崎投手は学業成績がかなり悪かったようです。

あるテレビ番組で、ローランドさんは山崎投手の学力について、

「先生からもすごい怒られてた。とにかく頭が悪くて。特に英語はもう壊滅的。アルファベットを、大文字でZまで書けたら100点みたいなテストでABCDEの『E』をカタカナの『ヨ』って書いて100点じゃなかった」

と暴露しています。

さらに続けて、「『Baseball』は絶対書けない。『Baystars』は多分読めてない」とブッ込むのでした。

また、ローランドさんのYouTubeチャンネルに投稿された動画に出演した時、

山崎投手は「神々しい」と言う言葉を、「かみがみしい」と読んでいました。

まとめ

いかがでしたか?

サッカー選手としては挫折を味わいながらも、その後ホスト界の帝王と呼ばれる存在になったローランドさん。

自分がサッカー選手として成功できなかった中でも、3年間同じクラスだった山崎投手を励まし続け、

ローランドさん今の彼の活躍を支えていたか存在とも言えるかもしれません。

サッカーとは別の世界で成功を収めたローランドさん、

ローランドさんの励ましによって這い上がり、プロの世界へ羽ばたいた山崎康晃投手。

どちらも見事な帝京魂を持っていたと言えるでしょう。

彼らと帝京の、今後のさらなる活躍に期待します。