小学校低学年の時から海外の大会でMVPを獲得し、『カンテラ』の入団テストに合格したことでスペインで移住した結果、2ヶ月ほどでスペイン語がペラペラになりました。
2021年に開催された東京オリンピックで、20歳ながらサッカー男子日本代表ベスト4に大きく貢献した久保建英選手。
小学生の頃からその才能はサッカー界で注目されていました。
それもそのはず、小学2年生の頃からFCバルセロナで経験を積んでいたのです。
現役のプロサッカー選手でさえ、まだバルセロナに所属したことのある日本人がいなかった中、
小学生にして世界最高峰の舞台で揉まれていたのです。
そんな久保選手の、天才児とも言うべき幼少期のエピソードをご紹介していきます。
父親の英才教育
久保選手は幼稚園の頃から、朝お父さんが出勤する前に必ずボールに触れるようにしていたそうです。
またその際には、その際には足の感覚を養うために素足で取り組み、よほどの悪天候でない限り毎日続けていたとのこと。
それだけでなく、久保選手が2歳の頃から、お父さんは高尾山への登山に連れて行っていたそうです。
これもサッカーの練習の一環だったのだとか。
2歳の子供に登山を経験させるお父さんもすごいですが、それについて行っていた久保選手も相当ですね。
こうした父親の英才教育は久保選手のサッカー選手としての才能をメキメキと開花させ、6歳にして
「バルセロナに入りたい」という明確な目標を口にするようになります。
ここで彼の両親は子供の発言と安易に受け流さず、入団するために必要な情報を収集し、
具体的な準備や練習をしていきました。
そして、その努力が結実する日を迎えます。
小学生にして世界の舞台へ
小学2年生の時、FCバルセロナキャンプでMVPを獲得し、小学3年生のときには
『ソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップ』でもMVPを獲得している久保選手。
今でこそ海外で活躍する日本のサッカー選手も増えましたが、
ヨーロッパや南米と比べるとまだ日本はサッカーで劣っているように感じなくもありません。
そんなヨーロッパの舞台で、日本の小学生が活躍していたというのは、本当にすごいですね。
『ソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップ』でのMVPですが、
通常MVPは優勝したチームの中から選出されることが多いのですが、
選ばれた久保選手のチームは3位でした。
久保建英を知ったのは、10年前のこと。
10歳にしてバルセロナに入団し、
多くの人からずっと期待され続けた。
僕も、彼から目が離せず追い続けてました。日本史上1番期待されてきた選手だから、
とてつもない重圧と戦ってきただろう。
あの涙には色々な意味があると思う。ゆっくり休んで下さい。 pic.twitter.com/g9dyJLN2in
— かずのこ (@misterkazunoko) August 6, 2021
それなのに選ばれたということは、それだけ久保選手のプレーが圧倒的に素晴らしかったということでしょう。
海外でも、久保選手のすごさは光り輝いていたのだと思います。
さらに小学3年生の時、FCバルセロナの下部組織『カンテラ』の入団テストに合格。
小学3年生で合格したのは、久保選手を含めて3人だけでした。
11歳でスペイン語をマスター
『カンテラ』の入団テストに合格した久保選手は、お母さんと弟と3人でスペインに移住することに。
そして、バルセロナの私立小学校に転校します。
スペインに渡ってからわずか2ヶ月後には、スペイン語がペラペラになっていたのだとか。
実際、小学生の時に現地メディアのインタビューを受けた久保建英選手は、しっかりとしたスペイン語で受け答えしていました。
2013年から2014年のシーズンには、地中海カップでU-12の大会得点王やMVPを獲得するなど、順調に実績を重ねていった久保選手。
しかし2014年、突如帰国することになってしまいます。
FC東京へ
スペインを拠点に活躍していた久保選手ですが、2014年に突如帰国することになります。
その理由は、FCバルセロナの規定違反によるもの。
FCバルセロナは、18歳未満の外国人選手獲得、登録に関する規約違反があったのです。
久保選手もその『違反対象選手』の1人であり、特例措置も認められなかったため、
FIFAの規定によって4年間の公式戦出場停止を言い渡されてしまいました。
このとき、久保選手はまだ13歳。
これまでに数々の実績をおさめてきた久保選手にとって、これからの4年間試合に出られないというのは、相当な問題だったに違いありません。
久英選手はFCバルセロナを退団し、帰国。FC東京に所属することになりました。
FC東京では、中学3年生のときに『FC東京U-18』に飛び級するなど、その実力をメキメキと発揮していきました。
まとめ
小学校の頃から、これまでの日本のサッカー界では考えられないようなキャリアを積んできた久保建英選手。
18歳の頃には、名門のレアル・マドリードに所属することになりました。
そして東京オリンピック。
勝てばメダルが確定する試合だった準決勝のスペイン戦。
延長の末に敗れた時、彼は「悔しいけど、出せるものは全部出したから涙も出ない」と語っていました。
しかし、その後の3位決定戦でメキシコに敗れメダルを逃した時、彼は大粒の涙を流しました。
東京2020オリンピック
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まだ20歳ながら、日本代表として色々なものを背負い、プレッシャーに襲われながらも懸命にプレーしていたのでしょう。
準決勝での敗退後のコメントと相まって、ある意味で年齢相応なのかもしれないその大粒の涙は、大きな話題になりました。
まだ20歳。
次のオリンピックも、年齢的に出場できるチャンスがあります。
さらに、サッカーにはW杯という舞台もあります。
この悔しさを糧に、久保選手はもっと大きな選手になるのではないでしょうか?