結論

元部員が強盗致傷事件も起こしている駒澤大について、「将来のビジョンが見えない」という理由で退部し、大学野球の規定により別の大学に進学した後は、1年間公式戦に出場できない時期がありました。

2021年に開催された東京オリンピックで、2008年の北京オリンピック以来、3大会ぶりに正式種目として復活した野球。

その野球で、日本代表が正式種目に採用されてから初めて、金メダルを獲得しました。

その日本代表の中でも特に話題になったのは、北海道日本ハムファイターズに所属する伊藤大海投手だったかもしれません。

元々日本代表のメンバーには入っていませんでしたが、

菅野智之投手などがコンディション不良を理由に代表メンバーを辞退したこと受けて、

追加召集という形で選ばれた伊藤大海投手。


今回の代表メンバーは、全員現役のプロ野球選手で構成された中、

伊藤大海投手は2020年にドラフト1位でファイターズに指名された、

2021年はまだ1年目のルーキーピッチャーです。

東京オリンピックは、2020年ごろからの世界的なウイルスの情勢により、2020年から2021年に延期となりました。

つまり、もし予定通り2020年に東京オリンピックが開催されていたら、代表に選ばれることもなく、

今回のような活躍を見ることができなかったかもしれないのです。

不思議な巡り合わせを感じますね。

特に韓国戦でのいわゆる「追いロジン」が話題になった伊藤大海投手ですが、その野球人生は決して順風満帆とは言えないのものでした。

駒澤大学を中退した経歴を持つ苦労人が、東京オリンピックでの金メダル獲得に貢献するまでをご紹介します。

駒大苫小牧高校から駒澤大学中退まで

北海道出身の伊藤大海投手は、駒大苫小牧高校出身です。

この高校は、今回の東京オリンピックの代表メンバーにも選ばれ、アメリカのメジャーリーグでも活躍した、田中将大投手も卒業した学校です。

そんな駒大苫小牧高校で、伊藤大海投手は1年の時からベンチ入りを果たしており、2年生の時には春のセンバツ高校野球で甲子園の舞台を経験。

長崎の創成館高校との試合で先発し、完封勝利をおさめています。

その後、駒澤大学へと進学するのですが、なんと大学1年生の秋、早々に中退してしまいます。

このことについて伊藤大海投手は、

「このままここにいても将来のビジョンが見えなかった」

と語っています。

具体的になぜこのような発言に至ったのかは不明ですが、この発言と結び付きそうな、ある駒澤大の人物のエピソードを紹介してみたいと思います。

伊藤大海投手のように、駒澤大の野球部に所属していた人の中に、千丸剛という人がいました。

この人は、埼玉の花咲徳栄高校の野球部で主将を務め、2017年に夏の甲子園で優勝を果たしました。

埼玉県勢が夏の甲子園で優勝したのはこの時が初めてであり、そんなチームで主将を務めた千丸選手は、

その野球の腕を買われて駒澤大学へスポーツ推薦で入学。

1年の春からリーグ戦に出場するなどして活躍しましたが、その後彼は伊藤大海投手のように野球部を退部してしまいます。

さらに2019年、千丸被告は強盗致傷事件を起こしてしまいます。

「人のいない家からお金を運ぶ仕事がある」という友人の誘いに乗って、千丸被告は初対面の3人と千葉県内の民家に侵入。

住人の夫婦にケガを負わせたのです。

2020年、彼は懲役5年の判決を言い渡されましたが、一連の裁判の中で、駒澤大学野球部を退部した理由について語りました。

それは

「深夜3時までコンクリートの上で正座」

「雨の中、傘なしで先輩の買い出し」

「タバコの火を肌に押し付ける根性焼き」

など、およそシゴキの域を超えた、先輩からの陰湿ないじめによるものでした。

伊藤大海投手は先ほどもご紹介した通り、

「このまま駒澤大にいても将来のビジョンが見えなかった」と語っています。

具体的にどういうことなのかを語っていないので、あくまでも個人の推測に過ぎませんが、

千丸被告のお話と照らし合わせて考えた時に、必ずしも全く関係ないとは思えないような気がします。

苫小牧駒澤大学時代

東京の駒澤大学を中退した翌年、伊藤大海投手は地元・北海道の苫小牧駒澤大学へ入学しました。

入学までの半年は、母校である駒大苫小牧高校で練習をしていたそうです。

新たな大学で野球人生が再スタートしたものの、規定により、1年間は公式戦の試合に出ることができません。

それでもこの1年間は、「自分自身と向き合う時間」として過ごしました。

そして公式戦に出られるようになると、チームのエースとして全日本大学選手権で全国大会に出場。

最高球速も156km/hを記録するほどの投手になりました。

さらに大学3年の時には、チームのリーグ優勝に加えて、「MVP」「最優秀投手賞」「ベストナイン」など、個人のタイトルも総なめ。

そして2020年、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに指名されました。

#追いロジン

野球において、ピッチャーは指先が滑らないように、

ロジンという松ヤニなどの成分が含まれる粉を袋につめた「ロジンバッグ」から、

ロジンの粉を投球の合間に手にかけることが許されています。

人によっては指先に少量つけるだけでも良いのですが、

伊藤大海投手は人よりも手汗が出やすい体質であると自身について話しており、

普段からかなり多めにロジンをつける投手です。

しかし、東京オリンピックの準決勝で韓国と対戦した時、韓国側から伊藤大海投手へ、審判を通じてクレームが寄せられました。

その内容はロジンのつけ過ぎで粉が舞い、ボールが手元から離れる瞬間に視界が悪くなって打撃に支障をきたす、というものでした。

しかし伊藤大海投手、そんな韓国のクレームなど意に介さず、クレームを受けた直後にさらにロジンを手につけて粉を舞わせたのです。

この行動がネット上で、韓国への政治的な印象なども相まって、「追いロジン」というワードで話題になりました。

後日、伊藤大海投手は一連の騒動についてコメントしています。


ちなみにある野球ユーチューバーが後日、実際に

「ロジンのつけ過ぎは見えにくくなるのか」を検証したところ、

伊藤大海投手ほどつけてもそんなに見えづらさは変わらなかったとのこと。

ロジンに加えて石灰をつける「追い追い追いロジン」ぐらいまですることで、ようやく見えづらくなるとのことでした。

緊迫する国際試合で、普段のルーティンを否定するかのような抗議を受けながらも、

意に介さずに続け、その後も完璧に打者を抑えた伊藤大海投手。

これでまだプロ1年目ということで、本当に将来が楽しみですね。

まとめ

日本ハムファイターズでは、1年目から先発ローテーションの一角として活躍し、

日本代表に選ばれ、金メダル獲得にも貢献した伊藤大海投手。

しかし、その野球人生は決して順風満帆とは言えないものでした。

駒澤大学を早々に中退し、別の大学に行くも規定により、1年間試合に出れなかった時期もありました。


しかし、それでも焦らずに自分自身と向き合い、いざ公式戦出場が解禁されると破竹の勢いで活躍。

そうして培われた日々が、オリンピックでの追いロジンのような強心臓ぶりに繋がったのかもしれません。

今後のさらなる活躍に期待したいですね。