結論

国指定の難病でしたが自然治癒する場合もあることを知っていたので、前向きな気持ちでいるようにしたことで乗り越えたようです。

芳根京子さんといえば、2016年に放送されたNHK連続テレビ小説

「べっぴんさん」で主演を務めたことなどで、一躍人気女優になった人です。

デビュー作は、2013年に放送されたドラマ『ラスト・シンデレラ』。

その後高い演技力などが評価され、さまざまなドラマや映画作品、CMに出演している芳根さんですが、

3歳の頃からスカウトされており、多い時は1日に5回もスカウトされていたそことがあるほど。

しかし、当初はそうしたスカウトを断っていました。

興味を示したきっかけは、高校に入って最初の学園祭で行なった映画でした。

芳根京子さんのクラスは映画を撮り、彼女は監督と脚本を任されました。

その時知った作品を作る楽しさ、演じる側の楽しさを目の当たりにして女優に興味を持ったそうです。

そしてタイミングよくスカウトを受けたので、芸能界入りを決意。

そんな芳根さんですが、ギラン・バレー症候群という難病を患った過去があります。

後ほど詳しくご紹介しますが、この病気は現在も原因が解明されていない、国にも指定されている難病です。

そんな大病と彼女はどのように向き合い、朝ドラ女優になっていったのでしょうか?

芳根京子とギラン・バレー症候群

芳根京子さんがギラン・バレー症候群を発症したのは、中学2年生の時。

手足に力が入らなくなる症状に、およそ1年悩まされたそうです。

ギラン・バレー症候群の症状が出ていた1年間は、普通に学校に通うこともできなかったとのこと。

中学生という多感な時期に学校に通えないのは、友人関係なども含め、とても不安だったことでしょう。

一方でギラン・バレー症候群が完治してからは、

「急激に足が速くなったり持久走で1位をとったりした」そうです。

ギラン・バレー症候群は、まれに手足のしびれなどの後遺症が残ることがあるそうですが、芳根さんの場合は後遺症はなかったようです。

ギラン・バレー症候群とは自己免疫の疾患で、国にも難病指定されている特定疾患です。

自分の免疫機能が末梢神経を攻撃してしまい、末梢神経に障害が起こるのがギラン・バレー症候群。

原因ははっきり分かっていないのですが、

「感染症やワクチン接種」がギラン・バレー症候群の誘発材料として濃厚だと言われています。

感染症にかかったり、ワクチン接種をした後は、体内の免疫機能が働くようになります。

通常は異物を攻撃するこの免疫機能ですが、それが過剰に反応してしまったり、

誘導されて自分の神経を攻撃してしまうと考えられていますが、

はっきりとした原因は現在も分かっていません。

主な症状は、手足のしびれ、筋力低下、血圧の乱高下、脈拍の乱れなどです。

軽症の場合、患っていることに気が付かないこともあるのだとか。

悪化していくと、歩行困難や呼吸困難、食べ物が飲み込めなくなる嚥下障害などの症状が出たり、最悪の場合は死に至ることも。

日本では、年間10万人に1〜2人がギラン・バレー症候群と診断されています。

ギラン・バレー症候群は自己免疫の疾患なので、免疫疾患の治療がメインになりますが、自然治癒することも多いようです。


国指定の難病と聞くと、不治の病みたいなイメージがありますが、決してそんなことはありません。

多くの人が自然に治っており、芳根さんも完治したうちの1人と言えるでしょう。

自然に治ることが多いとはいえ、ギラン・バレー症候群は国指定の難病であり、命を落とす可能性もある病気です。

そんな難病を、中学2年生で発症した芳根さん。

どうやって乗り越えたのでしょうか?

彼女のブログに難病を患ったファンから、

「笑顔になる方法を教えて欲しい」とコメントされていたことがありました。

そこで芳根さんは、「気持ちで負けないために毎日楽しいことを探していた」と語っています。

具体的には、周りの人との会話やコミュニケーションを楽しんだり、お笑い動画を見て笑ったりしていたとのこと。

また、ギラン・バレー症候群は自然に治る病気ということも知っており、前向きに捉えていたそうです。

また、芳根さんはそのファンに対し、

「もう頑張ってると思うので、『頑張って』とは言いません」ともコメントしていました。

芳根さんのギラン・バレー症候群との闘いは、もちろん本人の努力が一番だったことは間違いありません。

ただそれだけではなく、両親など家族の支えがあったことも事実です。

芳根さんの両親は、娘さんがギラン・バレー症候群を患ってから、毎日中瀬天祖神社にお参りに行っていたそうです。

芳根さんは

「ギラン・バレー症候群は自然に治る病気だから前向きに捉えていた」

と言っていましたが、この病気で命を落としている人もいると知り、

「命の重さを知った」とも語っていました。

4度目の正直

芳根京子さんはデビュー3年目となる2016年に、NHK連続テレビ小説

『べっぴんさん』のオーディションに合格します。

今でこそ人気女優である芳根さんですが、朝ドラのオーディションは3回連続で落ち続けていました。

芳根京子さんがデビューしたのは、2013年で16歳の時です。

ちょうどギラン・バレー症候群が治ってからですね。

朝ドラの主役を決めるオーディションにも参加していたのですが、3回連続で落選。

しかも、そのうち2回は1次審査で落とされていたそうで、2次審査に進めたのは一度だけ。

このとき芳根さんは、「私には才能がないからこの仕事は辞めようかな」とさえ思っていたそうです。

そんな中で、4度目の正直として合格したのが『べっぴんさん』でした。

また、芳根さんが朝ドラのオーディションに落ち続けている時も、両親は中瀬天祖神社にお参りに行っていたそうです。

ご両親との二人三脚で、芳根さんは朝ドラ女優の座も掴んだのです。

難病のギラン・バレー症候群を乗り越え、自分の夢を叶えるために多大なる努力をしたことでしょう。

まとめ

いかがでしたか?

前向きでハツラツとした笑顔が印象的な芳根京子さん。

難病を乗り越え、朝ドラの女優として活躍するまでになりました。

家族仲が良い芳根さんは、セリフの練習を家族に付き合ってもらうこともあるそうです。

また自宅を建て替え、費用の大半を芳根さんが出したたりもしています。

自宅にはマッサージ機や浴室やジャグジーなど、家族の疲れを癒やすグッズが充実しているそうです。

またお兄さんがおり、2人で買い物やディズニーランドに行ったりするほど仲良しなのだとか。

親孝行でとても前向きな芳根京子さんの、今後のさらなる活躍に期待したいと思います。