結論

名門の済美高校で最速147km/hを出すほどの投手であり、実際にプロのスカウトからも「育成で指名するかもしれない」と言われていたほどでした。

「やればできるんです!」と言うフレーズもすっかりおなじみとなった、お笑いコンビ「ティモンディ」。

2020年からボケ担当の高岸宏行さんは、プロ野球の始球式で投げる機会も増えました。

特に印象深い始球式は、2020年10月4日の明治神宮球場での始球式でしょう。

涙を拭いながらの投球が話題になりました。

相方の前田裕太さんがキャッチャーを努め、マウンドで涙を拭う高岸さんをみて、同じように涙を拭いながら138km/hの直球を受け止めました。

前田さんの夢は、「相方をプロの始球式のマウンドに立たせること」だったそうですが、どのような気持ちで高岸さんの直球を受け止めたのでしょう?

また高岸さんにとっては、プロの試合のマウンドに立てたという思い入れと喜びは、他の誰よりも強かったことでしょう。

この2人は高校の同級生で同じ野球部であり、あの愛媛の名門、済美高校出身なのです。

しかも、甲子園の出場は叶いませんでしたが、高岸さんの方はプロのスカウトも注目していたほどでした。

また、左投げの控え投手だった前田さんの方も、済美高校に進学する前は東海大相模や作新学院といった、

野球の名門校から誘いがあっただけでなく、高校野球の名門校選手だけが受ける体力測定で日本一に輝いたこともあるのです。

話だけ聞くと特に高岸さんの方は、そのままプロになってもおかしくないはずですが、なぜ芸人の道に進んだのでしょうか?

済美高校時代

高岸さんは、中学時代から軟式野球で130km/hを出す剛腕投手であり、2008年愛媛県の済美高校にスポーツ特待で入学。

高校進学後も、投手として最速147km/hをマークし、打者としては高校通算20本塁打を記録しています。

そして、ヤクルトスワローズと阪神タイガースのスカウトから、

「プロ志望届を出してくれたら、育成選手として指名するかもしれない」とまで言われていたそうです。

高岸さんが所属していた済美高校は、彼が高校1年の時に甲子園に出場。

しかし、当の本人はベンチには入れずスタンドでした。

高校2年の時は、投手と野手を兼任して控え選手としてベンチ入り。


しかし、現阪神タイガースの秋山拓巳投手要する西条高校に、甲子園出場は阻まれました。

ちなみに練習試合では、現日本ハムファイターズの西川遥輝選手擁する智弁和歌山高校と互角に渡り合っていたそうです。

その西川選手を、2021年4月には始球式で打席に迎え、147km/hという芸能人歴代最速記録を出しました。

高校在学中、甲子園出場は叶いませんでしたが、

「滋賀から来たのんびり屋さんは伸びしろたっぷりな未完の大器」と、雑誌にも掲載されたほどの選手でした。

大学進学と大きな挫折

高校3年の時、進路について悩んでいて、野球部の上甲監督に相談したところ、

「大学に行って確実に上位指名されるようになってからプロに行った方が良い」とアドバイスを、もらい、大学進学を決意。

多くのプロ野球選手を輩出している名門、東洋大学に進学しました。

球速はさらにアップして150km/hを記録するほどでしたが、大学3年の時に右肩を故障。

プロへの道は事実上絶たれることになりました。

高校の時点で、育成ながらプロの世界に入れていたかもしれないのに、道半ばでの挫折。

生きる目的すら見失いそうだったそうです。

しかし、周囲の人々から励まされたことで、少しずつ明るさを取り戻すことができました。

高岸さんは野球の世界で常に注目の的でしたが、その時は周りの人たちからの支えについてまでは、考えが及んでいなかったそうです。

しかし、怪我によって挫折していた時、そうした周囲からの支えに気付き、

自分が決してポジティブな人間ではなく、周りのおかげでポジティブになれていると気づいたとのこと。

そのことから、自分もみんなのサポートに回って盛り上げていこうと考えるようになり、怪我で野球を辞めることはありませんでした。

ここから、高岸さんの新たな人生がスタートします。

芸人を目指した理由

大学の時に、怪我でプロ野球選手への道を断たれ、生きることに絶望していた高岸さん。

しかし周囲の支えに気付き、自分も誰かをサポートできるような人間になろうと考えていた矢先。

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。

そんな中、お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の復興活動を目の当たりにして、新たな目標ができました。

これが、高岸さんがお笑い芸人を志したけきっかけです。

地元が大変な被害を受ける中、被災地のために懸命に活動するサンドウィッチマンを見て、

「芸人ってすごい職業だ」と感銘を受けました。

そしてある日、何気なく東京をぶらぶらしていた時、高校の同級生で同じ野球部だった前田裕太さんと再会。


先ほどご紹介した通り、前田さんも名門の済美高校でベンチ入りできるほど野球の実力に恵まれており、身体能力抜群の選手でした。

しかし大学では野球をしておらず、将来についても模索中でした。

新たな夢が見えかけていた高岸さんと、将来を模索中だった前田さん。

久しぶりの再会に意気投合し、「お笑いをやろう」ということになりました。

こうして2015年1月、お笑いコンビ「ティモンディ」を結成。

このコンビ名は高岸さんが考えたそうです。

ある日、夢の中で「ティモンディ」という言葉が出てきて、前田さんにどういう言葉か聞いてみたところ、

頭が良かったと評判だった前田さんでも、いくら調べても分からなかったそうです。

そこで、「これは神のお告げだ」と考え、コンビ名にしたことをある番組で述べています。

今では「やればできるんです!」というフレーズでお馴染みになった高岸さん。

これは済美高校の校訓でもあるそうで、最近バラエティー番組でこの言葉を言い続けていると、

ある大物芸人から「いい言葉だね」と声をかけられ、とても嬉しかったと語っています。

まとめ

溢れんばかりの野球の才能で、甲子園にこそ行けなかったものの、プロを夢見て努力を続けていた中、怪我によって挫折したティモンディの高岸宏之さん。

今やポジティブな人というイメージが浸透していますが、本人は

「自分は本当はポジティブではないんです」と明かしています。

周囲のおかげでパワーをもらって、明るくしていられるのだと語っています。

そして周りを励ましたい、盛り上げたいという気持ちから

「やればできるんです!」というフレーズを使っているのだとか。

この言葉も、今やすっかりおなじみとなりました。

現在、高岸さんは芸人のみならず、野球の独立リーグの入団テストにも挑戦しています。

2018年と2019年は、残念ながら落選となってしまいました。

しかし、今後もテストは受け続けるそうで、仕事以外の時間は常にトレーニングに費やしているそうです。

ティモンディの、今後の更なる活躍に期待したいですね。