自身のイメージを保つため、プライベートでは家族とでも一緒にはほとんど食事を取らず、誰かと食事をするところは見られないようにもしていたようです。
2021年5月18日、俳優の田村正和さんが同年4月3日に、東京都港区の病院で心不全のため亡くなったことが明らかになりました。
77歳でこの世を旅立ち、葬儀や告別式は親族のみで行なったそうです。
2月中旬ごろから、体調の異変で入院されていたそうです。
\本日スタート🙌/
「若さま侍捕物帳」
第1話 命ごま参上!!
📺6/23(水)よる9時~当時35歳の #田村正和 が
明るいキャラクターを演じた貴重作✨美しい気流し姿は
従来のファンにも嬉しい登場シーン😌⚔️#中村梅之助 #ジャネット八田 #市原悦子https://t.co/6ITamLvZ3R pic.twitter.com/TaTZjgbUv4— 時代劇専門チャンネル (@jidaigekich) June 23, 2021
その時は風邪のような症状で、検査入院だと身内から報告されていたようでしたが、日本を代表する役者が旅立ってしまいました。
2018年にフジテレビ系で放送された、『眠狂四郎 The Final』が最後の仕事だったそうです。
テレビを主戦場にして、“銀幕スター”の香りを最後まで残した田村さん。
そんな彼のエピソードをご紹介します。
主な活躍
1960年、兄の田村高廣さんが主演を務めた映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学したときに勧められ、端役として初めて映画の中に登場しました。
1961年、当時高校生ながら松竹大船と専属契約。
同年、映画『永遠の人』で俳優として本格的にデビューを果たしました。
1965年、『この声なき叫び』で初めて主演を務めます。
大学と芸能の世界を両立させながらの活動となりました。
1966年、松竹大船を退社し、フリーで活動するようになりますが、この頃は目立つ役に恵まれませんでした。
当時は暗めな風貌の地味な印象を持たれており、声が通らなかったことから成功するのは厳しいとみられていました。
そんな中1970年、テレビドラマ『冬の旅』に出演したことで、改めて注目を浴びます。
以降、繊細な二枚目青年役として、多くの作品に出演するようになります。
1972年、時代劇ドラマ『眠狂四郎』で一躍有名に。
以後、ラブストーリーに出れば二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦役となれば悩みが多いコミカルな夫を演じ、55歳を過ぎれば頑固で涙もろい父親を演じるなど、幅広い役柄を演じるようになります。
そして1994年、刑事ドラマ『古畑任三郎』の役では、和製刑事コロンボとも言える新境地を開きました。
田村さんといえば、このドラマのイメージが強い人も多いでしょう。
私生活
田村さんは、4人兄弟の三男になります。
兄弟は俳優として活躍していますが、弟の亮さん曰く、
「まじめ過ぎる。テレビではプライベートのところは一切見せない」とのこと。
兄弟で会うと、仕事の話はまずしなかったそうです。
そしてテレビの方でも、プライベートについて多くを語ることはありませんでした。
俳優「田村正和」として、私生活はとてもストイックだったようです。
彼を象徴するお話として、家の敷地内に母屋と離れがあり、家族とは別々に暮らしていたと言われています。
必ず1人で食事をするそうですが、年に1回、家族とニューヨークへ旅行に行った時だけ、みんなで一緒に食事をしていたとのこと。
これは、自身が周りから「ダンディーな独身男性」だと思われていたことから、そのイメージを崩さずに雰囲気を保つためだったそうです。
そのため、人と食事しているところは絶対に見せないようにしていたのだとか。
そんな謎の多い田村さんが2010年秋、あるインタビューで北大路欣也さんと初共演した時のことについて聞かれた時に、珍しくプライベートに関する話をしたことがありました。
田村さんの父親である阪東妻三郎さんと、北大路さんの父親である市川右太衛門さんは有名な俳優であり、さらに田村さんと北大路さんは同世代になります。
田村さんが9歳の頃に父親が他界しているのですが、一方で北大路さんの父親は長生きでした。
このことについて、
「北大路欣也さんは父親と時間を共にできて、とても羨ましい気持ちがあります。僕の父親も、僕が大学を卒業してこの芸能界に入って頑張っているところまで生きていてくれたら、喜んでいたのかも」
と話しました。
このインタビューを聞いていた関係者は、このような内容を話すのはとても珍しいと驚いたそうです。
撮影裏エピソード
撮影の時には、自前のデッキチェアを持ち込んでいた田村さん。
「田村チェア」と呼ばれるその椅子に、本番直前まで1人で座って考え事をしていることが多く、共演者と交流することはほとんど無かったと言われています。
「自分からやりたい役を要望するのではなく、スタッフから役をやらせたいと言われる役者でいたい」
と語っていたことから、周囲が持っているイメージを壊さないように努めていたのかもしれません。
また、NGをほとんど出したことがなかったと言われています。
「同じセリフを二度も言いたくない」と語っていたことから、本番まで役のイメージトレーニングに没頭していたと考えられるでしょう。
事実、松竹大船と専属契約をしていた頃、年間で10本もの映画出演の依頼があった中、そのうち5本を断ったことがあると言われています。
これは、「作品を選んで出演を決めたい」「台本ができていないのに出演を強制されたくない」という理由からだったそうです。
撮影の時のこうしたエピソードや、プライベートでの徹底ぶり。
周りからのイメージを崩さないためという、俳優としてのプロ意識の高さがうかがえますね。
まとめ
『古畑任三郎』シリーズや『眠狂四郎』シリーズなど、数多くのドラマや映画に出演してきた田村正和さん。
最近では、お笑い芸人のハリウッドザコシショウさんの物真似から田村さんのことを知った、という人も多いのではないでしょうか?
そんな田村さんは、どこまでも役者「田村正和」としてあり続けた、生粋の俳優さんだったのかもしれません。
そんな偉大な俳優さんの突然の旅立ち、本当に残念ですね。心からご冥福をお祈りします。