結論

学生時代はパニック障害に苦しみ、その後もくも膜下出血に見舞われるなど、一時期は生きることに絶望していた時期がありました。

2021年5月19日、女優の新垣結衣さんとの婚約を発表した歌手の星野源さん。

この2人といえば、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で夫婦役として共演していましたね。

さらに2021年1月2日にドラマ『逃げ恥』のスペシャルが放送され、再び共演したことをきっかけに急接近していったようです。

星野さんといえば、今や歌手としても俳優としても、多くの人に愛されていますが、過去には様々な苦労を経験していたようです。

バンドマンとしての歴史

星野さんは、埼玉県の自由の森学園高校を卒業しています。

勉強にはあまり力を入れていなかったようで、そのことを大きく後悔しているのだとか。

高校3年の頃はパニック障害で3ヶ月間不登校だったものの、周囲の支えを受けて無事に卒業できました。

そんな高校時代、クラスメイトからバンドを組まないかと誘われ、バンド活動を始めます。

演奏技術は未熟だったとのことですが、バンド活動をきっかけに、人前に出ることへの抵抗が薄れていったそうです。

その後、大阪芸術大学の受験に失敗。バンド活動を充実させるため、大学には進学しませんでした。

高校を卒業した後は実家を離れ、東京の沖縄料理店でアルバイトをしながら、音楽活動や演劇に取り組んできました。

バンド活動以外にも、様々な劇団のオーディションに挑戦したそうです。

過酷な闘病生活

星野さんは、過去にツラい闘病生活を送ったことが何度もあります。

一度目は、小学生の時です。

小学生の頃、学校でいじめに遭っていたことが原因で、パニック障害を抱えていた星野さん。

精神安定剤を服用していた時期もあり、高校生の頃には不安神経症にまで進行して、家から全く出られなかったこともありました。

しかし、クレイジーキャッツの『だまって俺についてこい』という曲の中の、

「そのうちなんとかなるだろう」という歌詞が心に響いて、立ち直ることができたそうです。

また、『笑っていいとも!』に出演した際に、モニカ病に悩んでいたことを告白しました。

肛門上に、突然前触れも無く激痛が走るそうです。

正式な病名ではなく星野さん自ら名付けた病名で、その由来は痛みが吉川晃司さんの“モニカ”のダンスのような動きになってしまうからとのこと。

正式な病名は「突発性肛門痛」ではないかと言われていますが、詳細は明らかになっていません。

そして3度目は、2010年と割と最近の話です。

この年に放送されたNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に出演していた星野さんは、放送された2年後にくも膜下出血で手術を受けています。

幸い大事には至りませんでしたが、病気になる前はずっとハードスケジュールだったことから、

「体を休めないといけない」ということに気がついたそうです。

その後、2013年に復帰しましたが、定期健診でドクターストップがかかり、再度入院と手術をすることに。

この時、「今すぐにでも窓から飛び降りたい。早く死んでしまいたい」と、生きることに絶望していたそうです。


そんな失意のどん底にいた彼を支えていたのは、お笑いコンビ「バナナマン」の日村勇紀さんでした。

2人は2006年に放送されたドラマ『アキハバラ@DEEP』で共演して以来、大の仲良しです。

ツラい時期を支えてくれた芸能界の友人、日村さんが41歳の誕生日を迎えた時、星野さんはバースデーソングをプレゼントしました。

その歌詞がこちらで、曲名は「どうかしてるぜ」です。

どうかしてるぜ

退院して初めて開いた携帯留守電には日村の声が

「心配です、返信は無用です」

復帰した日に初めて開いた携帯本文には日村の文字が

「復帰おめでとう、またご飯でも行こう」

日村、なぜ俺を泣かすのか

お前は芸人じゃなかったのか

日村、なぜ笑わせないのか

そんなお前はどうかしてるぜどうかしてるぜ

ありがとう日村

様々な病気と闘ってきた星野さん。

パニック障害と不安神経症は現在克服できたようですが、くも膜下出血の再発が心配されています。

一度発症すると、完治する確率は20%程度で、発症した人の60~80%は発症後10年以内に死亡するリスクがあるというデータもあります。

後遺症が無いケースは10%未満とも言われていますが、幸いにも星野さんの場合、後遺症はないようです。

芸能界で活躍するのみならず、一生を添い遂げるパートナーとも巡り会えた星野さん。

体にはぜひ気をつけて欲しいですね。

名物キャラクター誕生

星野さんのミュージックビデオや公式YouTubeチャンネルに登場する「ニセ明」。

星野さん自身が演じて、星野さんの友人という設定です。

外見は布施明さんの若い頃のような容姿で、長髪のカツラとサングラスを身にまとっています。

ちなみに、布施明さん本人からは公認を得ているそうです。

くも膜下出血で闘病生活を送った後、2014年に復帰ライブを行った時、

「感動のステージになる」と星野さんは予想していました。


しかし、ファンに心配をかけないため、笑いを入れた演出を提案したのです。

その結果、アンコールで登場する際に、布施明さんのモノマネをした姿でステージに立ち、

闘病中に歌っていた布施明さんの楽曲「君は薔薇より美しい」を歌うパフォーマンスを披露しました。

それ以降、ファンの間で大人気キャラクターになり、数々の特典映像などに出演することになったのです。

病からこんな面白キャラを生み出すとはすごいですね。

まとめ

NHK連続テレビ小説出演をきっかけに、星野源さんは一躍有名になりました。

2年後、くも膜下出血が判明してすぐに活動休止して治療に専念することになり、ショックがとても大きかったでしょう。

2013年に復帰できましたが、ドクターストップがかかって再び入院し、手術を受けることになり、

「死んでしまいたい」と漏らすほどツラかったことを語っています。

おそらく今も病院で検査をしていると思うので、奥様となった新垣結衣さんが心のサポートをしているのではないでしょうか?


星野さんと新垣さんは、

「これからも互いに支え合い、豊かな時間を積み重ねていけたらと思っております。未熟な二人ではございますが、温かく見守っていただけますと幸いです」

と書面でコメントしています。

関係者によると、ドラマの共演をきっかけに、星野さんの方から猛アプローチしたそうです。

お互いにゲームが好きということで、一緒にゲームをして愛を育んできたとも言われています。

任天堂からも祝福の声があり、ネットで話題になりました。

2人の幸せを心から願いたいですね。