俳優でありながら、歌舞伎役者や実業家の顔を持つ香川照之さん。

「半沢直樹」「坂の上の雲」など、様々な代表作を持つ香川さんですが、2016年に21年連れ添った奥さんとの離婚を発表しています。

1995年に結婚を発表し、2人の子どもにも恵まれた香川さんでしたが、何故2人は離婚を選択したのでしょうか?

離婚の原因について香川さんは記者会見で多くは語られませんでしたが、調べていくうえで離婚を選択せざるを得ないことがわかりました。

今回は3つの原因について、詳しく解説していきます。

2人の離婚原因は?

香川さんの元嫁の知子夫人は元CAのキャリアウーマンでした。

2人の馴れ初めは、共通の知人が主催する食事会です。

知子夫人は知的なクールビューティーな印象の女性で、香川さんの一目惚れから交際がスタートしました。

結婚後、知子さんは専業主婦として香川さんを献身的に支えていたそうです。

21年寄り添った夫婦の離婚の原因は何だったのでしょうか?

3つの原因を、可能性の高いものから紹介していきます。

①香川さんの歌舞伎界入り

2人の離婚の原因となった1つ目は、香川さんの歌舞伎界入りです。

皆さんは香川さんの経歴がかなり複雑だったことをご存知でしょうか?

香川さんの父は、歌舞伎役者の二代目市川猿翁さんのため、本来ならば歌舞伎役者としての人生を歩むはずでしたが、香川さんが3歳の頃に両親が離婚して、母の浜木綿子さんに引き取られました。

ご両親の離婚の原因ですが、なんと父の不倫が発覚した上に、父が愛人の元に移り住んだのが原因なんだとか。

幼少期から波乱万丈な人生の幕開けだった香川さんは、その後東大に現役合格を果たした後、俳優ではなくADとして就職。

ADを辞めた後、元宝塚の浜さんの名前を借りる形で芸能界入りし、俳優として活躍するようになったのです。

そんな俳優として活躍していた香川さんが、歌舞伎界入りするきっかけになったのが、父である猿翁さんとの和解でした。

俳優になったのを機に、初めて父の公演を観に行った際に、「私はあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今の私とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって私はあなたの父でもない」「あなたとは今後、二度と会うことはありません」という言葉を突きつけられ、絶縁を言い渡されました。

自分勝手な物言いに、普通なら顔を見たくないと思うような出来事でしたが、香川さんはその後も公演を観に行きました。

諦めずに通い続けたことと、2000年に正式に再婚した猿翁さんの後妻である藤間紫さんの口添えもあって和解したことで歌舞伎界入りを果たします。

両親の離婚・芸能界入り・父親からの絶縁を経ての歌舞伎界入り。

普通に聞いたら「覚悟を決めた」「強い信念を感じる」といった意見を感じるところですが、俳優の妻だった知子さんはどうだったでしょうか?

2011年に九代目市川中車を襲名したことで歌舞伎界入りしましたが、身内である知子さんがそれを知ったのはなんと襲名後だったそうです。

なんと香川さんは知子さんに歌舞伎界入りの相談をせずに決めてしまっていたんだとか。

香川さんはこの時点で翌年の6月に開かれる「六月大歌舞伎」への出演が決まっていたことから、俳優業に加えて歌舞伎の稽古をもしなければならないため、家の事や子どもたちの世話はすべて知子さんが請け負うことに。

小さい子どもの面倒だけでなく、歌舞伎役者の妻としての役割を果たさなければならないのは、何も知らされてない状態で言われたらどう思うでしょうか?

さらに猿翁さんとの和解により、パーキンソン症候群を患った猿翁さんの介護も知子さんの役目になりました。

家事育児・介護に加えて梨園の妻としての役目を果たさなければならなくなったのであれば、知子さんは相当なプレッシャーを感じていたに違いありません。

夫に振り回されて耐えられなくなった妻が離婚を切り出すのはよくあることです。

美談で片づけられたら、女性側の気持ちとしてはたまったものではありません。

②梨園の妻たちからの陰湿ないじめ

2人の離婚の原因となった2つ目は、梨園の妻たちからの陰湿ないじめです。

梨園の妻の格付け方法は、夫の家柄だけでなく血縁や実績によって決まります。

元をたどれば全員が親戚であるものの、上下関係がかなりしっかりしているため、会社以上に厳しい縦社会といえるのではないでしょうか?

そんな歌舞伎界で父親は歌舞伎役者であるものの、離婚して一般家庭の人間として育った香川さんはどのような立ち位置だったでしょうか?

俳優としての知名度はあったものの、歌舞伎に関してはそこらへんの素人と大差はありません。

そのため、1番下の位から必然的にスタートします。

突然歌舞伎界入りを果たした男の妻。

歌舞伎役者の父がいるという理由で一般人から歌舞伎役者になるというのを、小さい頃から厳しい稽古に耐えてきた人たちは簡単に受け入れられるとは限りません。

突然梨園の妻としての務めを果たさなければならなくなった知子さんは、本来なら上の位の梨園の妻に教えてもらうようなことも、教えてもらえなかったようです。

家事育児に追われ、梨園の妻としての務めを果たさなければならなくなったにも関わらず、誰にも手を差し伸べられずに孤独になっていたとなると、精神的にかなり負担がかかっていたのは明確です。

精神的に追い詰められた決め手となった原因としても、おかしくはありません。

③子どもたちの対応

2人の離婚の原因となった3つ目は、子どもたちの対応です。

対応といっても様々ですが、大きく分けて2つあります。

1つ目は、長男の政明さん(五代目 市川團子)が酷評されていた際に、香川さんがそれに対してフォローをしなかったことです。

具体的な名前はあがっていないものの、とある歌舞伎界の大御所が政明さんの事を「駄馬」であると酷評しました。

一般人として過ごしていた政明さんが遅めに稽古を始めたのは周知の事実です。

そのため、小さい頃から稽古を行っていた人間と比べたら、とても比べられるようなものではないのは明らかです。

この酷評に知子さんはかなりショックを受けたと言われています。

しかし、香川さんは政明さんや知子さんのケアもなく、黙ってみていただけだったようです。

香川さんがどう思っていたかはわかりませんが、相手が大御所だったことで強く言えなかったんだとか。

2つ目は、長男と長女に対しての対応の差です。

歌舞伎界では男性が圧倒的に優位な立場にあります。

そのため、稽古を行うのは男性で、女性はほとんど表舞台に立つことはありません。

そのため、長男の政明さんと長女の対応にはかなり差があったと言われています。

2人の離婚が成立した後、政明さんの親権は香川さんが持ち、長女の親権は知子さんが持つことになり、長女は一般人として最後まで表舞台に立つことはありませんでした。

いかがだったでしょうか?

現在香川さんは、2022年8月の銀座のホステスへの性加害報道で芸能界から事実上の追放された状態です。

出演番組やCMは次々と降板になったことで、芸能界復帰がかなり難しい状況になっています。

今回の事で心配されるのは、息子の政明さんにも今後の出演に影響があることですが、現時点では中止になった報道はありません。

今回のようなことが起こってしまい、本当に残念です。