杉田かおるさんはその昔、日本テレビ系ドラマ『パパと呼ばないで』で、チー坊役として一世を風靡しました。7歳の可憐な少女は、そのドラマであっという間にお茶の間のアイドルとなり、天才子役と言われたことはご年配の方ならご存知のことだと思います。

 そんな彼女が数十年後に、バラエティ番組で破天荒な毒舌キャラのタレントになろうとは、ギャップがありすぎてただ驚くばかりです。

 しかしその陰では、誰も知らない壮絶な日々が彼女を苦しめていたようです。その1つが創価学会との関係だとされています。杉田さんと創価学会の間に何があったのか、検証していきたいと思います。

プロフィール

本名 : 橋本 薫(はしもと かおる)※結婚前の本名、結婚後の本名は非公表
生年月日 : 1964年11月27日(54歳)
出身地 : 東京都新宿区
身長 : 157cm
血液型 : B型
職業 : 女優/歌手
ジャンル : テレビドラマ/映画
活動期間 : 1972年〜
事務所 : オラクル企画

テレビドラマ

1972年: 日本テレビ『パパと呼ばないで』
1973年 : 日本テレビ『雑居時代』
1975年: 日本テレビ『水もれ甲介』
1980年~1992年 ; 日本テレビ『池中玄太80キロ』第1シリーズ~スペシャル版まで
1979年~2011年 : TBS『3年B組金八先生』第1シリーズ~ファイナルまで
2014年6月20日 : フジテレビ『西村京太郎スペシャル警部補・佐々木丈太郎』
2016年7月8日 : NHK総合『水族館ガール 第3話』

映画

1981年 : 青春の門
1983年 : 男はつらいよ・口笛を吹く寅次郎
2006年 : 大奥
2015年 : マンゴーと赤い車椅子
2018年 : バケツと僕!

バラエティ

TBS : ぴったんこカン・カン
テレビ朝日 : ロンドンハーツ

CM

1975年 : ハウス食品『シャンメン』
2004年 : おやつカンパニー『ベビースター大人のラーメン』
2010年 : サントリー『BOSSレインボーマウンテン』

 幼い頃は引っ込み思案な性格だったという杉田さん。対人関係の改善も考えて西荻窪の劇団若草に入団し、ピアノや歌、踊りなどを習いました。1972年に舞台「春の坂道」で子役デビューし、7歳でテレビドラマ「パパと呼ばないで」にて、初めてセリフのある役をもらうことになります。

 このドラマが当たり、チー坊役で天才子役と呼ばれるまでになりました。13歳にして個人事務所を設立、アイドルとして売り出しますがわずか1年で事務所が解散してしまいます。その後、借金300万を抱えて杉田さんは新しい事務所に入り、女優業を再開。

 「3年B組金八先生」で、出産する中学生を演じて再び話題に上ります。1980年には「池中玄太80キロ」に出演し三度話題を集め、挿入歌の「鳥の詩」がヒットし歌手としても話題になりました。

 1981年には映画「青春の門」で映画デビューも果たし、順風満帆な芸能生活になると思いきや、父親の連帯保証人となったことにより1億円の借金を背負い、「残った財産は小銭入れの中の800円だけ」というどん底に突き落とされるのです。私生活では2度の結婚をするなど、『チー坊』は山あり谷ありの人生を送ってきたようです。

創価学会との関係

 そんな杉田さんが創価学会に入会したのは、ちょうど「金八先生」に出演していた頃でした。子役を脱して女優として演技が認められた16歳の年に、もともと学会の会員だった父親の勧めで学会の座談会に出席し、入会を決めたと言います。

 その後、芸能人が所属する「芸術部」と「高等部女子部」に所属し、創価学会の広告塔として活動するようになったようです。その頃は同学年の友人に囲まれて、とても楽しかったそうです。

 子役時代は仕事が忙しく、学校生活をエンジョイできなかった彼女にとって、同じ年頃のクラスメートとは一緒にいるだけでも楽しかったに違いありません。失われた学生時代を取り戻した気持ちだったのでしょう。

 その上、学会のトップである池田大作氏との会食に同席し、この上ない幸福を感じていたのです。すっかり創価学会に傾倒していった杉田さんでしたが、次第に学会に対して疑問を持つようになりました。

脱会した!?

 1985年のあるイベントに参加した時のことです。その時は、学会員が最高指導者の池田大作氏を囲んで、食事会をしていました。その席で杉田さんは「おさげ渡し」という行為に、ふと違和感を感じたといいます。

 デザートのメロンを前に池田氏は「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない。」と言い、ひとさじすくって口に入れた後に「みんなにも食べさせてあげたい」と、食べかけのメロンを隣席の人へ回したのだと言います。

 回された人はひとさじ食べてその隣へ、また隣へと回していくうちにそのメロンが杉田さんのところへ。回ってきた頃には、ほとんど食べるところがなかったそうです。それでも彼女は無理やり、そのおさげ渡しのメロンをすくって飲み込んだと言います。

 また、年金生活者や生活保護者に献金を募りながら、幹部の人たちは酒席でセクハラまがいのことを強要するという許しがたい行為を目の当たりにして、創価学会に対し不信感でいっぱいになったそうです。そして、悩みながらも杉田さんは創価学会脱会を決心するのです。

 しかし、大勢の学会員に家に押しかけられて脱会を撤回するように迫られ、かなり怖い思いをしたとのこと。現在、彼女は6歳年下の一般男性と再婚し、夫婦で農業をする生活をしています。今までの波乱万丈な生活とは違い、穏やかな時を過ごしているそうです。

 やっと安住の地を見つけたという感じなのでしょうか?昨今は母親の介護で忙しく、芸能界から遠のいていた杉田さんですがその母親も亡くなった今、再び女優として活躍する日が来るかもしれません。現在の幸せな杉田さんを、応援してあげたいですね。