結論

認知症になったおすぎさんを介護していたピーコさn。しかし喧嘩が絶えず、自身も認知症になり、「おすぎは死んだ」と妄言を言っているそうです。

おネエキャラの先駆けと言えば、「おすぎとピーコ」ではないでしょうか?

それまで俗に言う「おかま」は、世の中でもテレビ的にも認知されていませんでした。

おすぎさん(本名:杉浦孝昭さん・弟)とピーコさん(本名:杉浦克昭さん・兄)は、双子の兄弟タレントとして活躍していました。

タレントとして活躍していた一方で、お互いに評論家でもありました。

おすぎさんは映画評論家として活躍し、映画専門誌などにも寄稿していたり、映画雑誌の編集者として関わっていました。

ピーコさんはファッション評論家としても活躍していて、当時は辛口コメントで人気を博していました。

デビューと亀裂

おすぎさんとピーコさんは、元から芸能界を目指していたわけではありませんでした。

おすぎさんは美術専門学校を卒業していて、雑誌の編集などの仕事をしていました。

一方でピーコさんは、高校を卒業した後に横浜トヨペット株式会社に就職後、電飾工場などを経て転職していきます。

その後、文化服装学院のデザイン科に進学しますが、26歳の時に転機がやって来ます。

おすぎさんからの紹介で、ドラマの衣装制作を頼まれた事がきっかけでした。

その現場にいた芸能関係者がおすぎさんとピーコさんに目を付けて、双子のおネエコンビとしてデビューさせたのでした。

二人を一躍人気にさせたのが、ラジオ番組『一慶・美雄の夜はともだち』に一緒に出演した時。

マシンガントークが大ウケしたのです。

その後、「おすぎとピーコ」として本格的な活動が始まり、テレビやラジオでコンビとして引っ張りだこになります。

順調なデビューを果たした「おすぎとピーコ」でしたが、二人の仲は良くなかったそうです。

当時、トークでリードしていたのはおすぎさんでした。

それ故に業界関係者はピーコさんに面と向かって、

「才能のないアナタがおすぎの足を引っ張っている」と言っていたそうです。

そんな周りの影響もあってか、おすぎさん自身も自分の方が才能があると感じているのが表に出ていたそうです。

ピーコさんも、「おすぎとは3日以上仲が良かったことがない」と話していたほどでした。

そして、事件が起こります。

1982年にデビューした当時から、お互いに溜まっていたものが爆発します。

出張先のホテルにて、取っ組み合いの大喧嘩を始めました。

幸い近くにいた友人が止めに入りました。

しかし止めていなかったら、どちらかが死んでいてもおかしくないほどの衝突だったそうです。

これを機にコンビでの仕事を断るようになりました。

難病と再ブレーク

別々の道を歩き出した「おすぎとピーコ」でしたが、再び転機が訪れます。

ピーコさんの左目に悪性腫瘍が見つかり、左眼球摘出の手術を受けることになります。

この時、おすぎさんは一向に見舞いに来ることはなかったそうです。

それもそのはず、おすぎさんはピーコさんが予定していた仕事をすべて肩代わりしてくれていて、全国を飛び回っていたのです。

おかげでピーコさんは仕事を減らさずに済みます。

さらにおすぎさんは、ピーコさんに義眼を友人たちとお金を出し合ってプレゼントしています。

犬猿の仲といわれていた兄弟ですが、根っこの部分は兄弟愛で溢れていたのです。

術後おすぎさんが見舞いに訪れた時に、がんの転移はないと告げられ、二人は抱き合って号泣しながら喜んだそうです。

兄弟の関係もすっかり良くなり、運気も好転していきます。


当時高視聴率だった『SMAP×SMAP』で、中居正広さんがピーコさんのものまね

『ヒーコ』を披露すると、コンビの人気に再び火が付きます。

その後、『笑っていいとも!』など人気番組のレギュラーを務め、50代にして再ブレイクを果たします。

当時、おネエキャラが自分たちのおかげもあり浸透していました。

その中でも若手の台頭としてはるな愛さん、IKKOさん、KABAちゃんなどがそうでした。

性格はサバサバしていたおすぎさんとピーコさんでしたが、後輩への当たりはかなりキツく、後輩が活躍しているのが気に食わなかったそうです。

そして、ピーコさんが出演していた番組の最終回で、ある発言が物議を醸します。

最終回のゲストは、同業者であるKABAちゃんでした。

しかし挨拶も無視したうえに、

「変なおネエが来たから番組が終わっちゃったわ」と悪態を吐く始末。

さすがのKABAちゃんも激怒して、以後は共演NGとなってしまったそうです。

その後、恨みを持っていたKABAちゃんが某バラエティ番組でその話をカミングアウト。

それから徐々に悪評が目立ち始め、他のおネエタレントからも共演NGを出されるようになりました。

こうして全国メディアでは出番を少なくした二人は、ローカルをメインで仕事していくことになります。

老老介護

仕事の中心を福岡県に移し、しばらくするとおすぎさんは福岡にマンションを借りるようになります。

東京へは週に一度のペースで通う生活で、65歳にして地方移住でした。

しかし、そんなおすぎさんに異変が襲います。

「収録中、集中力が散漫になることが増えたんです。物覚えも悪くなっていたようで『番組に迷惑をかけるかもしれない』と本人も不安を抱えていました。どうも認知症の初期段階のような兆候があったそうです。そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになったんです」

と福岡の番組関係者は証言しています。

おすぎさんは元気な頃から、

「ピーコがいてくれてよかった。老後は二人で暮らしたい」

「老後のお金はもう貯金してある。ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」

とよく周りに話していたそうです。

こうしておすぎさんの希望通り、兄弟での『老老介護』が始まります。

しかし二人をよく知る共通の知人は、

「結果的にこの同居がよくなかったのかもしれない」と嘆いていたそうです。

老老介護は最初こそ順調でしたが、徐々に変化が訪れます。

これまでとは違うおすぎさんを見てショックを受けるピーコさん。

それと同時に、ピーコさん自身にも同じような症状が出始めます。

記憶力が落ちていき、お互いの感情をコントロールできなくなり、毎日のように喧嘩をするようになりました。

ピーコさんがおすぎさんに

「いますぐ出て行け!」と自宅から追い出し、途方に暮れているおすぎさんを警察が保護することも。

しかもそれは、一度ではなく何度もあったそうです。

これ以上一緒に住めないという状況になったのが、2022年2月頃だったそうです。

現在、ピーコさんは横浜の自宅、おすぎさんは近隣の高齢者施設に入居しているそうです。

ピーコさんは「おすぎが死んだ」「お骨になって帰って来た」「葬式も済んだ」

などという妄想を言いふらしているそうです。

それは冗談ではなく、幻を信じ込んでしまっているようです。

ピーコさんは、おすぎさんが施設にいる事を覚えていないそうです。

まとめ

いかがでしたか?

おネエコンビとして、当時あまり認知されていない同性愛を主軸に活躍した「おすぎとピーコ」。

二人のマシンガントークも人気でしたが、お互いにファッションであり映画でありと専門知識もあり、幅広く活躍していました。

兄弟の仲も常に良くなかったわけでもありますが、やはり兄弟の絆は固く結ばれていたようです。

何度も亀裂が入っては戻るを繰り返していたのは、根っこでは深い絆があったからに他ならないでしょう。

しかし、老老介護という大きな壁には兄弟の絆を持ってしても敵わなかったようです。

2人が少しでも長く、幸せに生きていけることを願いたいですね。