女優・タレントとして活動している中川翔子さんのことを知らない人はいないと言っても良いくらい、彼女は知名度が高い有名人ですよね。そんな彼女の父親も、芸能界で一世を風靡した有名人だったということはご存知ですか?今回はそんな中川翔子さんの父親について紹介していきます。

親子のプロフィール

中川翔子のプロフィール

【生年月日】1985年5月5日
【年齢】33歳
【出身地】東京都
【身長】157cm
【血液型】A型
【所属事務所】ワタナベエンターテイメント

中川翔子の父親のプロフィール

【名前】中川 勝彦
【生年月日】1962年7月20日/
【死去】1994年9月17日(32歳没)
【活動】ミュージシャン・俳優

 今や「しょこたん」の愛称で多くの人々に親しまれている中川翔子さん。そんな彼女の父親も、実は芸能界で活躍していた方だったのです。

 勝彦さんは1978年に慶応義塾高等学校に入学。1980年の高校3年生のときにNHK『ヤングミュージックフェスティバル』に出場したことをきっかけに芸能界デビューを果たしました。

 芸能界にデビュー後は俳優業だけではなく、ヴィジュアル系アーティストとしても活動されていたそうです。1980年代は一斉を風靡した人物として注目度も高かったそうです。

 しかし、今となっては勝彦さんの存在を知っている人は少ないかもしれません。なぜなら芸能界に18歳という年齢でデビューしたものの、32歳という若さでこの世から去ってしまったからです。

 彼は病を患ってこの世を去ってしまったのですが、当時は病気のことを仲の良い知人にも話ししていなかったそうです。まさに突然の訃報となった知人達は、驚きが隠せなかったと言われています。

父の死因は白血病!

 勝彦さんの死因は白血病と言われています。亡くなる2年前に、急性骨髄白血病を発症しました。この病気は、本来であれば正常の血液を作り出す器官が、何らかの異常で癌化してしまった悪い血液を永遠に作り出してしまう病気です。

 1992年9月に患い、9ヶ月間の治療の末に翌年1993年6月には芸能界に復帰したのですが、約1年後の1994年8月に白血病の再発で死去してしまいました。白血病は骨髄の病気とも言われており、病気を完治するためには骨髄移植が必要になってきます。

 とは言っても、誰の骨髄でも自分の体に合うというわけではなく、勝彦さんの家族では骨髄が合う人がいなかったと思われます。娘の翔子さんが骨髄の一番有力な適合者と言われていたそうですが、当時9歳という年齢だったということから、「小さな体に負担はかけたくない」という勝彦さんの優しさで骨髄を調べることはしなかったそうです。


 病気と闘っている父親が、娘に対してこのような思いがあったということを大人になって彼女は知ることになり、「自分が父親のために何もできなかったことに申し訳ない気持ちと、これから感謝して生きていかないと!」という強い思いを話されていました。

 今では父親の亡くなった年齢32歳を超えた翔子さんだからこそ、「父親はきっとまだ生きたかっただろうな。やりたいこともたくさんあったと思う」と当時の父親の気持ちをブログで代弁したことがニュースで話題となりました。

スキャンダルの真相

 白血病を患ってしまい、1994年に亡くなってしまった勝彦さんですが、死去から17年後の2011年に勝彦さんの女性スキャンダルについて話題になりました。亡くなって17年も経つのに今さらスキャンダルというのもおかしなお話ですが、あるインターネットのサイトに勝彦さんが奥様以外の女性と関係を持っている写真の流失がきっかけでこのようなお話が浮上したようです。

 そのサイトはすぐに閉鎖され、どのような理由で勝彦さんの過去のスキャンダル画像を流失したのかは定かではありませんが、一説ではマーケティング戦略だったのではないかと言われています。この写真の流失時期と同じ時期に、勝彦さんに関する書籍が発売されました。

 この書籍の売り上げを取るために話題づくりとしてインターネット上に流失されたのではないかと噂されているようです。しかし、このマーケティング戦略については噂話程度なので、実際には何が目的なのかはわからないことが多いスクープでした。

 当時の勝彦さんは女性から大変人気のミュージシャンとして活動していましたし、仕事が忙しいことを理由に家に帰ることが少なかったみたいです。そのようなことから、奥様以外の女性と関係を持っていた可能性は十分考えられ、実際に他の女性と関係を持ってしまったことは事実に違いないでしょう。

 いくら女性からモテると言って、も実の父親が他の女性と関係を持っていたスキャンダルを聞いて翔子さんは大きなショックを受けてしまい、9歳の誕生日で父親から貰った大切な誕生日カードを捨ててしまったそうです。今では誕生日カードを捨てたことに後悔してしまったそうですが、実はお母さんがその誕生日カードを拾ってくれていたみたいで、今はきちんと翔子さんの手元にあるそうです。