結論

2019年に登場した始球式で139km/hを記録し、当時の芸能人最速記録を更新しました。

NHKの連続テレビ小説『半分、青い』で注目を集めた俳優の間宮祥太朗さん。

芸能界に入ったきっかけは、​​学生の時に学校の先輩から声を掛けられて始めた読者モデルでした。

図書カードがもらえる、ということで始めたそうです。

また、ダレノガレ明美さんにも関係する、王子様エピソードも話題になりました。

ダレノガレさんは芸能界に入る前、間宮さんに助けてもらったことがあるのです。

しつこいナンパに遭遇し困っていた時、偶然近くにいた男性に

「彼氏のフリをしくれませんか?」とお願いしたダレノガレさん。

その男性が「俺の彼女だけど、何か用?」と追い払ってくれて、何とか逃げ切ることができました。

その時の助けてくれた男性が、間宮さんだったのです。

芸能界で再会した時、間宮さんの方から当時の話をされた時は、呆気に取られてしまったダレノガレさん。

「俺の彼女だけど、何か用?」という当時の言葉を告げたことで、ダレノガレさんは思い出したのでした。

ダレノガレさんは「キュンとした」と語っています。


そんな間宮さんは、子供の頃から野球をやっており、一時期は本気でプロになることを夢見ていました。

そして、実際にバラエティー番組では、現役のプロ野球選手から三振を奪ったりもしているのです。

さらに、始球式での豪速球も話題になりました。

野球歴

間宮さんが野球に打ち込んでいたのは、小学校1年生から中学2年生までの8年。高校では野球をやっていなかったようです。

この後詳しくご紹介しますが、始球式ではプロに匹敵するほどの豪速球を投げていながら、高校ではやっていなかったというのは意外に思いました。

始球式で球速が話題になった人といえば、ゴールデンボンバーの樽美酒研二さんや、

EXILEの関口メンディーさん、お笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏之さんなどが上がります。

いずれも高校まで野球をやっており、特に高岸さんに至っては、実際にプロのスカウトが

「指名するかもしれない」と声をかけたほどです。

始球式で豪速球を出す人というと、そのように高校ぐらいまで野球に打ち込んで、プロにも負けないキャリアを積んでいる印象が強いです。

しかし、意外と間宮さんは早いうちに野球から離れたようです。

もし高校まで野球をやっていたら、どんな選手になっていたか気になるとこおですね。

そんな間宮さんは小学1年生の時、神奈川県の「野毛オールスターズ」というチームに所属し、

もともと肩が強かったことからポジションはピッチャーを任されていました。

「自分が投げた球から試合が始まること」に面白さを感じ、投手にのめり込むようになります。

野球のために中学受験

野球少年だった間宮さんは、ある日突然、親に中学受験をしたいと言います。

その理由は、野球でした。

この時、間宮さんは本気でプロ野球選手になりたいと思っており、その夢を叶えるため、強豪の中学校を受験したいと両親に頼んだのです。

彼が受験したのは、法政大学第二中学という野球の強豪校として名が知られている学校でした。

近年は中学受験をする小学生も増えていますが、その多くはより学業を充実させるため、というイメージが強いと感じていました。

野球をするための受験というのは、高校生からという印象が強いのですが、

中学の時からプロのために受験するというのは、相当の覚悟があったのでしょう。

しかしそんな彼も、先ほどご紹介したように、中学2年生で野球をやめてしまいます。

法政大学第二中学に合格し、野球漬けの日々が始まった間宮さん。

入学したばかりの中学1年生の時、部活でグラウンドを40周くらい走っていて、3年生の先輩を抜かすのが快感だったと語っています。

間宮さんが通っていた中学には、彼と同じように高いレベルの野球を目指している選手が多くいました。

その中で、間宮さんと同じピッチャーがポジションで、高く評価されていた彼の同級生がいました。

間宮さんはプロになりたいと思ってはいたものの、1人でダラダラする時間や友達と喋っている時間も好きだったそうです。

しかし、その同級生の選手は違いました。

朝は早く起きてランニングし、学校では部活に支障が出ないようにしっかり勉強し、

部活が終わった後は自主練に励むなど、まさに野球漬けの日々を過ごしていました。

その様子を間近で見ていた間宮さんは、次第に彼と自分の間に、野球に対する温度差を感じるようになってしまいました。

その同級生の様子から自分自身を客観的に見たとき、「自分にはアイツのような野球にかける情熱がない」と感じたそうです。

そして、情熱がないなら野球を続ける意味がないと感じ、中学2年のときに野球を辞めたのでした。

始球式で芸能人最速記録を更新

中学2年生で野球をやめ、中学3年生の時には芸能界デビューを果たした間宮さん。

プロを目指すような野球はやめましたが、その後も草野球は続けていたようです。

2013年には、草野球で150球ほど投げ、筋肉痛になったものの肩はなんともなかったということを、自身のTwitterで報告しています。

そして2019年、間宮さんがプロ野球の始球式に登場することに。


当日までの約1ヶ月半ほどの間に、入念に体づくりをして「目標は125km/h」としていましたが、本番で出した球速はなんと139km/h。

当時の芸能人最速記録を更新したのです。

野球の才能に恵まれていたことが、よく分かりますね。

まとめ

いかがでしたか?

139km/hという球速は、中学までやっていた人はおろか、高校まで投手をやっていた人でも、そう簡単に出せるスピードではありません。

もし中学時代、やめずに野球を続け、高校や大学でも続けていたら、プロの世界で活躍する間宮祥太朗さんを見れたかもしれませんね。


今後は、俳優業はもちろんのこと、野球関連のお仕事も増えそうな間宮さん。

さらなる活躍に期待したいですね。