お笑い怪獣として60歳を超えてもまだまだ現役の明石家さんまさんと、大女優として活躍している大竹しのぶさん。

お二人は結婚されていましたが、馴れ初めや交際期間といったことを知らない人もおおいのではないでしょうか?

現在は離婚されていますが、二人の離婚理由も知りたいですよね。

今回はお二人の馴れ初めや交際期間、そして離婚理由をまとめてご紹介します。

馴れ初め

明石家さんまさんと大竹しのぶさんは1988年9月に電撃入籍しました。

結婚までに色々な噂が流れていたにもかかわらず、二人とも否定していたからこそビックリした人も多かったようですよ。

そんな二人の馴れ初めですが、1986年の夏ドラマ「男女7人夏物語」の共演と言うことです。

しかしこの頃は知り合ったというだけで、交際に発展したわけではありません。

なぜなら、大竹しのぶさんはこの当時TBSプロデューサーの服部晴治さんと結婚していて、1歳の息子さんもいましたからね。

とはいうものの、服部さんはガン闘病中で、最終的には明石家さんまさんに、大竹しのぶさんのその後を頼んだというエピソードもあります。

服部さんは1987年7月に、47歳という若さで亡くなっていますね。

そんなこともあり、二人は服部さんの一周忌があけて間もない1989年9月29日に結婚ということなのでしょう。

とはいえ、明石家さんまさんと大竹しのぶさんは1986年のドラマ「男女7人夏物語」で共演し仲が良くなったのは間違いなく、その後1987年に「男女7人秋物語」で再共演を果たしています。

この頃には、きっと交際をしていたのだと思いますし、服部さんが亡くなった大竹さんをさんまさんが、励ましたりしていたのだと思われます。

その後、1988年には映画「いこかもどろか」でも共演しW主演ということで話題になりましたよね。

2人は最初の頃から掛け合いのリズム感が抜群に良かったといわれています。

また明石家さんまさんが撮影の遅刻が多く、それを大竹しのぶさんが怒って懲らしめていたということで、「2人で夫婦漫才ができるわ」と番組プロデューサーは笑っていたという事です。

それだけ息ピッタリの2人だったという事なんでしょうね。

ドラマや映画の共演で気持ちを確認し、交際に発展しての結婚と言うことでしょう。

交際期間

明石家さんまさんと大竹しのぶさんの交際期間ですが、1987年~1988年ぐらいなので1年ほどだと思われます。

結婚としては早いのかな?

この結婚が早かった理由として、大竹しのぶさんが発言していますが、明石家さんまさんがとても人気があり、恋愛するにも時間が無く、結婚するしか無かったということを話していました。

つまり結婚しないと2人の時間が作れないぐらい多忙だったということなんでしょうね。

2人になりたいから結婚したってことなのかもしれません。

ラブラブですよね。

交際中の話ですが、大竹さんは亡くなった服部さんのことでメンタルが大変だったという事です。

そんなとき夜中の2時でも3時でも電話をかけると、明石家さんまさんは話を聞いてくれたという事ですよ。

実は明石家さんまさんと服部さんも交流があって、一緒にテニスに行く仲だったと言うことです。

そして先程も書きましたが、服部さんに大竹しのぶさんのことを託されたという事。

「しのぶのことをどうぞよろしく」と書かれた手紙を渡されたそうです。

そういったこともあり、結婚を決めたのかもしれませんね。

勿論お互いが好きだったからこそだと思いますけど。

披露宴などは行われず、1989年9月には長女のIMARUさんが誕生しています。

幸せな家庭生活がスタートしたと思っていましたけど、結婚生活は長く続かず、明石家さんまさんは1991年頃から離婚を考え始め、1992年9月2日に、2人とも時間をずらしての離婚会見をされています。

結婚生活は5年間ってことになりますね。

離婚理由

離婚会見では明石家さんまさんは左の額に小さく×を書いて会見に臨んでいます。

「バツイチですわ。あとでカミさんは、バツをふたつ付けて出てくると思います。」なんて話もしていましたが、スベってましたかね?

このとき、離婚についてさんまさんは「すべて僕に原因がある。相手の仕事の量とかでお互いの気持ちにズレができた」とコメントしています。

他にも「オレゴンより愛より、目黒より愛やろ」「子はカスガイの甘納豆にはならなかったんですよ」とギャグをいいながら、仕事を優先した大竹しのぶさんとの、子育てのズレについて語っていました。

一方の大竹しのぶさんですが、離婚会見で「1日が30時間もあれば、3度のご飯も作れる」「女優と主婦の調整が付かなくなってしまったんです」とハンカチで涙を拭いながらコメントしていました。

結婚した当時、明石家さんまさんは大竹しのぶさんが仕事を辞めることを条件に結婚したということです。

さんまさんも当時、内心は彼女が仕事を辞めないと思って「辞めないでしょ?」と意志を確認したところ、大竹しのぶさんは「辞める」ときっぱり言い切ったそうなんですよね。

その言葉にさんまさんは「大竹しのぶが”大竹しのぶ”を捨てる、これは責任重大だ」と結婚を決意したと言うことです。

それで電撃結婚し、最初のうちは大竹しのぶさんも主婦業と育児に専念していましたが、徐々に女優をやりたくなったという事ですね。

IMARUさんが1歳半ぐらいになった時に、主婦って大変な仕事なんだけど、女優と比べると喜びが無かったということで、次第に芝居がしたいと思ったという事です。

その気持ちをさんまさんに打ち明けると、さんまさんは了承してくれたそうですよ。

優しいですよね、その頃調度朗読劇のオファーがあり、女優業に復帰したそうです。

しかし、さんまさんは「家庭では女優を捨てて欲しい」ということを話していたそうです。

大竹しのぶさんは、家庭では良き妻、良き母として頑張ろうと思ったそうですが、次第に女優を「後ろめたい気持ち」が耐えられなくなったということで、「一生女優でいたい」という気持ちをさんまさんに伝えます。

それでさんまさんと話し合い離婚になったようですね。

さんまさんとしても女優大竹しのぶを家庭に止めておくことが出来なかったのかもしれません。

ということで、2人は離婚されますが、他の芸能人夫婦と違う所は普通に離婚した後も仲が良い事ですよね。

離婚した後も、さんまさんは大竹しのぶさんの事をよくテレビでも話しますし、笑いにしています。

またそれを聞いても大竹しのぶさんは怒りもせず、普通に聞いていますからね。

2008年のフジテレビ「27時間テレビ」で共演もしていますし、2011年にはラジオでも共演していました。

2017年の大竹しのぶさんの還暦パーティーにもさんまさんは出席し、2人で家庭内の赤裸々トークも繰り広げていましたよ。

離婚してからも仲が良いのは本当に良いですよね。

また子供の二千翔(にちか)さんやIMARUさんには2人が大人になった今でも一緒にお祝いをしているという事です。

離婚したときも、さんまさんは子供達との面会交流の回数は「月30回」と話したということで、ようは毎日でも会う、会いたいときに会えるようにってことだったようですよ。

離婚して夫婦の関係は無くなりますが、父親としての責任は全うしたいということなんでしょう。

だからこそ、いまでも子供達とそして大竹しのぶさんとも仲が良いんでしょうね。

これからもずっと仲の良い家族でいて欲しいですし、ずっと大竹しのぶさんの事を話しているさんまさんでいて欲しいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。