1980年代に、「トシちゃん」という愛称で絶大な人気を誇っていたジャニーズアイドルの田原俊彦さん。

しかし、ある時からテレビに全くと言っていいほど出演しなくなった時期がありました。

彼に一体何があったのでしょうか?

田原俊彦

1961年2月28日生まれの神奈川県横須賀市出身ですが、小学生の時に父親が病気で他界してしまうという悲しい経験をしました。

そのため、母親が女手一つで彼とその姉、そして2人の妹を懸命に育てたそうです。

その貧乏生活から抜け出すため、中学生の時に芸能界への道を目指します。

そして高校入学して間もない1976年5月、ジャニーズ事務所に履歴書を送りました。

しかし返事がなかったので8月に上京し、当時事務所の社長を務めていたジャニー喜多川さんに直談判した末、ジャニーズに入所することに。

それから3年後、1979年には『3年B組金八先生』に出演したことでブレイク。

このドラマで共演し、ジャニーズ事務所の同僚だった近藤真彦さんと野村義男さんと共に、

「たのきんトリオ」として売り出され、翌1980年には「哀愁でいと」で歌手デビューも果たしました。

他のジャニーズアイドルに比べてダンスの上手さが際立っていたため、瞬く間にトップアイドルへと昇り詰めた田原さん。

1982年には、ブロマイドの売り上げが男性部門で1位に。ファンレターは最高で月に18万通届いていたそうです。

デビューシングル「哀愁でいと」から1990年リリースの「ジャングルJungle」まで、37作連続オリコンシングルTOP10入りは、当時の歴代1位の記録でした。

「金八先生」で中学生役を演じた8年後、「教師びんびん物語」で教師役を演じた田原さん。

まさに売れっ子というべき活躍ぶりでしたが、365日働いても月収は月いくらという給料制だったことから、30万円ほどだったそうです。

しかしそのヒット曲の多さから、田原さんに入っていった印税の金額が凄まじいものになり、100万1000万単位のお金がポンと入ってきていたとのこと。

そして、最高年収も2億円ほどにまでなったと言います。

消えた理由

田原さんは実に17年もの間、テレビから干されていた時期がありました。

その理由は、まず1つ目に事務所の社長であるジャニーさんとの確執ではないかと言われています。

きっかけは1994年頃、ジャニー社長に無断で結婚し、同時に個人事務所を設立したことにありました。

他にも、これから売り出そうとしていたアイドルとのスキャンダルで、相手の事務所を怒らせたりもしました。

人気で多忙のわりに給料が少ないことへの不満なのか、もともと独立願望があったのかはわかりません。

これに激怒したジャニーズ事務所は、その年に予定されていた全国コンサートツアーを中止にしたのです。

ジャニーズ事務所から独立して以降、テレビなどへの露出は激減。

本当のところは、独立が先か解雇が先かわかりません。

さらに、ジャニーズ所属タレントとの共演もほぼなくなりました。

大手レコード会社の幹部が引き取ろうとしましたが、“ジャニーズの女帝”と呼ばれるメリー喜多川副社長の逆鱗に触れることを恐れて手を引いたといいます。

この頃は、ディナーショーなどで生計を立てていたそうです。

テレビ側の自主規制は長らく続き、田原さんはジャニーズの見えない手に悩まされたそうです。

2つ目の理由は、マスコミからのバッシングにあるとされます。

田原さんは1993年に、元モデルの向井田彩子さんとの結婚と妊娠を発表。

当時すでに芸能界を引退していた向井田さんは、外出する際にもマスコミ関係者につきまとわれ、

「やめてください」と言うと「だったら外に出てくるな」と逆ギレされたと言います。

そして田原さんだけでなく、マンションや病院などにも迷惑がかかっていたそうです。

マスコミ嫌いと言われる田原さんでしたが、長女が生まれたことをきっかけに

「周囲に迷惑を掛けないでくれ」と伝えるため、会見を開きました。

しかし、マスコミ側は彼の精一杯のジョークを、悪意のある切り取り方で報道。

「何事も穏便にしたかったけど、僕ぐらいビッグだとそうもいかない」

という発言を捻じ曲げ、天狗になっているかのような印象を伝えたのです。

田原さん本人も『サワコの朝』という番組で、テレビから干されたのは“ビッグ発言”がきっかけだったと語りました。

「自分に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思う。干されたのは俺に力がないからでしょ。皆が思うほど干されたっていう気持ちはない」

と語りました。

ジャニーズ事務所を退社したことで干され、仕事もファンも目に見えて減ったものの、それよりも

「自由が欲しかった」という田原さん。

人気がなくなっても、芸能人を辞めようと思ったことはないそうです。

しかし、マスコミからは

「終始傲慢な態度で記者の質問に答えない」

などと批判を浴び、好感度も地に落ちて一気に表舞台から姿を消していったとされています。

まとめ

いかがでしたか?

田原俊彦さんはジャニーズ事務所から反感を買ったり、マスコミから叩かれたりと、ひんしゅくを買いやすい性分なのかもしれませんね。

絶頂期に億単位だった収入ですが、紆余曲折経た現在でも3000万円ほどはあるようです。

主な収入源はディナーショーで、年に数十回、各地で1人3万円から5万円以上するショーを開催しているようです。

今後の更なる活躍に期待したいですね。