1990年代後半から、CMやドラマ、さらにはバラエティー番組などで活躍した加藤晴彦。

しかし、2006年頃からは全くと言って良いほどメディアで見かけなくなりました。

彼に一体何があったのでしょうか?

加藤晴彦

1975年5月13日生まれで、2023年1月時点で47歳です。

1989年に放送されたNHKの教育ドラマ、

『中学生日記』に出演したことがタレント活動としての初めての仕事でした。

その後、1993年に行われた第6回

「ジュノンスーパーボーイコンテスト」にて、審査員特別賞を受賞したことで注目を集めます。

そして、翌年に放送されたドラマ

『アリよさらば』でさらに注目を集め、本格的な芸能活動をスタートさせました。

映画やドラマに数多く出演し、さらにはトークも面白いキャラクターということもあってバラエティー番組にも引っ張りだこだった加藤晴彦ですが、2000年頃から急に暗雲が立ち込めます。

この頃から、加藤晴彦はスキー用品

「アルペン」のCMぐらいでしか見ないような状態になりました。

映画やドラマにも出演してはいましたが、かつてのようにハイペースで出演することは無くなりました。

消えた理由

人気タレントとして活躍していた加藤晴彦は、なぜ芸能界から消えたのでしょうか?

彼は消える直前、人気恋愛バラエティ番組『あいのり』のMCを務めていました。

しかし2006年に、突如降板という形で番組を去ったのです。一体何があったのでしょうか?

実は加藤晴彦が芸能界から消えた理由は、久本雅美が関係しているという噂されています。

久本雅美は、加藤晴彦と一緒に「あいのり」のMCを務めていました。

そんな久本雅美は創価学会の副芸術部長を務めるほど、学会ではかなりの力を持った女性です。

どうやら久本雅美は、加藤晴彦に対して創価学会に入会するように勧誘していたようです。

かなり熱心に勧誘していたようですが、彼は断り続けていた模様。

久本雅美は芸能界でもかなり力があるタレントであり、創価学会への入会を断った加藤晴彦は久本雅美に干されたのです。

ただし、この説は疑わしい部分もあります。加藤晴彦が

『あいのり』のMCを降板してからも、久本雅美と他の番組で共演したり、久本雅美がMCを務める

『秘密のケンミンSHOW』にも出演しています。

加藤晴彦が芸能界から消えた理由は、他にもあります。

加藤晴彦が、福山雅治とかなり親密な関係にあったことは有名な話です。

加藤晴彦の方が一方的に好きになっていたという説もありますが、加藤晴彦は福山雅治をましゃ兄と呼ぶほど慕っていました。

もし福山雅治が結婚していなかったら、老後は家を買ってそこに一緒に住むという約束もしていたほど。

しかし加藤晴彦は女性を口説く時、「福山雅治の知り合い」

と福山雅治を使うような手を使ったり、事務所に無断で福山雅治に女性を紹介するようなこともしていたと言われています。

こうした行動に福山雅治の事務所はかなり頭を痛め、2人を遠ざけるために加藤晴彦を芸能界から消したと噂されています。

そんな加藤晴彦が久しぶりに登場したのは、「文春オンライン」の記事でした。

そこでは、彼の現在について取り上げられました。

それによると加藤晴彦が姿を消したのは、あまりにも多忙な日々を過ごしていたことで心身ともに限界に達し、自ら仕事量を減らしたからだとのことでした。

結婚し、子供が生まれたことで今までの生活スタイルを見直し、現在はほそぼそと活動しているようです。

また、加藤晴彦が芸能界から消えた理由についてあまり良い噂が広がらないのは、彼がSNSを一切していないことも理由になっています。

公に情報を発信する場がなかったため、悪い噂ばかりが先行したのかもしれません。

加藤晴彦は「文春オンライン」にて、

「YouTubeくらいはやってもいい」

とも語っているので、今後、彼から何らかの情報発信があるかもしれません。

まとめ

加藤晴彦が芸能界から消えた理由は、久本雅美が彼に創価学会へ入会するように促したが、それを断ったためという説が広がっているのは事実です。

しかし、本人は仕事が忙しく心身ともに疲れたため、自ら仕事量を減らしたと語っていました。

事実はわかりませんが、もしかするとこれから加藤晴彦がメディアに登場する機会が増え、本心が改めて語られることがあるかもしれません。

現在は住居を構えている名古屋で、ローカル番組に出演しています。

また、度々名古屋から東京へ仕事で足を運ぶこともあるようです

人気タレントとして活躍した加藤晴彦が、再び注目されるときが来るかもしれません。その時が楽しみですね。