結論

ラムネを頬張るように薬を服用し、閉鎖病棟で入退院を繰り返すなどしましたが、父親からの助けや趣味の乗馬によって立ち直っていきました。

1990年代を代表する日本の歌姫の1人、華原朋美さん。

しかし一方で、彼女は長きにわたって薬物依存に苦しみ、近年においてもネット上などで度々薬物中毒を疑われています。

この度、晴れて結婚を発表し、幸せを手にした朋ちゃんですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

彼女の薬物との戦いの軌跡をご紹介していきます。

薬物依存の始まり

華原朋美さんが薬物依存と言われ始めたのは、1999年頃だと言われています。

ちょうどこの頃、華原さんは小室哲哉さんと破局したばかりで、精神的にかなり不安定になっていました。

『薬物依存』と言いましたが、華原さんが依存していたのは、覚せい剤や大麻などの違法薬物ではありません。

精神科医によって処方された、精神安定剤や睡眠導入剤の類です。

精神安定剤や睡眠導入剤は、モノによっては相当な依存性があると言われています。

華原朋美さんもこれらの薬に頼るようになり、薬物依存が始まりました。

小室さんと別れたあとの華原朋美さんは、自殺未遂をするなど、相当に参っていたことでしょう。

華原さんの兄いわく、華原さんが薬に頼るようになったのは、ちょうど小室さんと別れた1999年頃。

2003年頃はかなり酷かったらしく、この頃を「どん底」と語っています。

具体的にどんなことがあったかというと、下着1枚でフラフラと道路に出てしまったり、ラムネを食べるように薬を乱用していたのだとか。

この状況にどうしようもなくなった華原さんの兄は、彼女を精神科の閉鎖病棟に入院させることに決めました。

当時華原さんは、「離せバカ野郎!」などと叫んでいたそうですが、男3人でなんとか押さえ込んだそうです。

華原さんは4人兄妹で、兄が2人と弟が1人います。

閉鎖病棟でどんな生活を送っていたのかは、いまだに明かされていません。

しかし閉鎖病棟を退院したと思ったらまた薬を飲んでしまい、再び入院ということを何度か繰り返していたそうです。

どん底からの復活

華原朋美さんをどん底から救ってくれたのは、フィリピンに単身赴任していた父親でした。

お父さんはフィリピンに単身赴任していて日本にはいなかったのですが、家族から彼女の状況を聞いたのでしょう。

お父さんは華原さんに対し、「頑張りたいならお父さんのところにおいで」と言ったそうです。

その言葉を聞いた華原さんは、閉鎖病棟を退院したその日のうちにフィリピンへと向かいました。

フィリピンでは、父親のもとでボランティア活動の手伝いをするなどして過ごしていたそうです。

ボランティア活動をしているうちに薬が抜け、華原さんは再び「歌いたい」と思えるようになったのだとか。

状態が良くなり、日本に戻った華原さんはお兄さんの働く高齢者施設でボランティア活動をする傍ら、

カラオケで録音したデータを以前所属していた事務所に送るなど、

歌手として復帰できるように模索していました。

そして、華原さんの名前をメディアで再び聞くきっかけになったのは、2016年に国内で行われた馬術の大会

『ジャパンオープン』で優勝した時でしょう。


実は、華原さんは3歳頃から趣味として乗馬をしており、高校生の時には国体で4位になったこともあるのだとか。

馬術をするのは20年以上ぶりであったにも関わらず、ジャパンオープンで華原さんは見事優勝を果たしたのです。

精神疾患のある人が、自然や動物と触れ合うことで症状が良くなることがある、

という話を聞いたことがありますが、華原さんもそうだったのかもしれません。

幼い頃から関わってきた馬ともう一度関わること、

そして『馬術』という熱中できるものを見つけることで、

次第にメンタルも良くなっていったのではないでしょうか?

しかし、トラブルはここで終わりませんでした。

トラブル続き、疑惑再燃

華原朋美さんは、2019年に未婚の母となったことで再び世間を騒がせます。

2019年8月、華原朋美さんは未婚のまま男児を出産。

このとき華原さんは45歳で初産ということもあり、メディアやネットでも大きく注目されていました。

子育ては、頭で考えるほど簡単なものではなく、とても大変なもの。

言葉が喋れず、意思疎通が上手くいかない赤ちゃんのお世話をすることは、想像以上に気力と体力を消耗するものです。

華原さんは初めての子育てで45歳という年齢ですし、余計に大変だったのではないでしょうか?

華原さんいわく、妊娠してから薬は飲んでいないそうですが、子育て中に精神不安定になる人も多い中、

本当に薬に頼らずにいられたのかは分かりません。

実際、子供を産んでからも華原さんはトラブルを起こしていました。

記憶に新しいのは、ベビーシッターによる虐待騒ぎでしょう。

華原さんは、親友とも呼んでいた高嶋ちさ子さんから紹介されたベビーシッターに、息子を虐待されたと週刊誌に情報を売ったのです。

実際には華原さんの誤解だったということで、高嶋ちさ子さんとも和解がすんでいるそうです。

また2021年6月、華原さんが『アウトデラックスSP』に出演しました。

そこで自身のヒット曲を見事に歌唱していましたが、その様子にネットが騒然。

足元はふらついてステージで転倒することもあり、曲の歌詞が飛んだり、目はうつろでろれつは回っていなかったりしていたのです。

共演者との受け答えも、1テンポ遅れていました。

この様子に、ネット上では、薬物依存を疑う声が再燃したのです。

他にも2020年、華原さんは精神安定剤や睡眠導入剤を服用した後に車を運転し、1年間で少なくとも3回は交通事故を起こしています。

結婚が朋ちゃんを救う

そんな華原朋美さんですが、2021年8月17日、自身の47歳の誕生日に入籍したことを発表しました。

お相手は一般人ということですが、どうやら現在の華原さんの所属事務所の代表かつ専属マネージャーの男性のようです。

旦那様は実業家でもあり、華原さんより3歳下だそうです。

2人が出会ったのは2018年のイベントで、2020年8月31日に華原さんが前事務所の尾木プロを退社し、

フリーになった時、今の旦那様からマネジメントのお話があったのだとか。


この頃から、華原さんは旦那様に恋心を抱いていたそうです。彼と交際するようになってから、華原さんの症状はみるみる回復。

精神的にもかなり立ち直っていき、あれだけ依存していた薬物からも離れることができたようです。

元々恋愛絡みで始まった薬物ですから、華原さんにとって解決するのも恋愛だったようです。

YouTubeで入籍会見を開いた華原さんは、本当に幸せそうでした。

色々あったからこそ、華原さんには幸せになって欲しいですね。

まとめ

華原朋美さんの、薬物との戦いにまつわるエピソードを紹介しました。

彼女は何年も薬物依存と戦い、一時は閉鎖病棟にもまで入院したり、度々奇行を働いたりと、とても危険な状態でした。

そんなどん底から立ち直れたのは、「歌いたい」という気持ちと、大切な家族の存在が大きかったのだと思います。

そして、そんな華原さんをサポートしてくれる旦那様と出会ったことで、精神的にもかなり安定しているように思います。

朋ちゃんがこれから幸せになっていくことを、心から願います。