留学するために活動休止したというのは本当ですが、それに加えてロングセラーとなってから曲作りをするのに疲れてしまったのも休止理由だったようです。

『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』などで知られる、シンガーソングライターのアンジェラ・アキ。

2014年に日本での活動休止を経てまた復活しましたが、その休止の真相に迫っていきたいと思います。

アンジェラ・アキ

1977年9月15日生まれの、徳島県板野郡板野町出身。

英会話スクール「イーオン」を経営する会社の社長と、イタリア系アメリカ人の母親のもとに生まれました。

3歳の時にピアノを始め、15歳の時に家族とともにハワイへと移住。

高校時代、ニルヴァーナやグリーン・デイに衝撃を受けて音楽に傾倒しつつ、大学はジョージ・ワシントン大学に入学して政治経済学を専攻。

在学中に作詞・作曲を始め、サラ・マクラクランのライブを見たことで音楽の世界で生きることを決意し、本格的に音楽活動を開始しました。

卒業後日本に帰国した際には、なんとすでに100曲程もの曲を書き上げていたアンジェラ・アキ。

そんな彼女の性格は真面目で芯が強く、「私はそうは思わない」とズバッと答えることもあり、とても新人とは思えなかったそうです。


自主製作のアルバムは度肝を抜かれるようなクオリティで、

「挫折を知らない人に書ける歌詞じゃない」と当時のラジオ局担当者はコメントしています。

2003年2月、自作した楽曲がヤクルトのCMソングに起用され、それをきっかけに日本での歌手デビューを目指して帰国。

インディーズからミニアルバム、「ONE」をリリースします。

そして、2005年に「HOME」でメジャーデビューし、60万枚を超えるヒットを記録。

翌年から6年連続でNHK紅白歌合戦に出場するなど、大ブレイク。

2008年に発売した「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」は彼女の代表曲となり、同年のNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲に。

オリコンチャートでも28週トップ50以内にランクインするロングヒットとなります。

そして、日本武道館でピアノ弾き語りライブも開催。

プライベートでは、音楽ディレクターの濱野太郎と結婚。2012年に長男を出産しました。

消えた理由

念願叶って歌手デビューを果たし、老若男女問わず多くの人に愛されるシンガーソングライターとなったアンジェラ・アキですが、2014年11月29日に突如音楽活動の休止を発表し、メディアから姿を消すことに。

その表向きの理由は、「アメリカの音楽大学に留学するため」ということでした。

それとあわせて、当時取り掛かっていたブロードウェイ・ミュージカルのプロジェクトに専念するため、夢を叶えるために活動休止を選んだと発表。

2014年4月には最後の全国ツアーを開催し、

8月4日の日本武道館でのファイナル公演をもって活動休止に入りました。

しかしその真相は、『手紙』のロングヒット以降、リリースに追われる生活に疲れたためというものでした。

実際、周囲にもその旨を漏らしていたそうです。

さらにちょうどスランプにも陥っていたことから、「これまで独学でやってきたから、アメリカの大学でしっかり音楽教育を受けたい」と思うようになったそうです。

そしてちょうど同じタイミングで、作家の友人からミュージカルの共同制作の話を持ち掛けられ、これも休止を決意するきっかけになりました。

18歳で入学したワシントンの大学では国際政治を勉強しましたが、音楽大学で専門教育をうけるのはこれが初めて。

活動休止について彼女は、

「とても悩みました。ただ、これがラストチャンスであるという気持ちもあり、中途半端な状態に自分を置きたくありませんでした。自分の夢を実現させるためには、これからの数年間、新しい環境で勉強に集中し、創作活動に打ち込むべきだと考えました」と語っています。

そして、南カリフォルニア大学音楽学校に入学

2年間の留学を経て2016年に帰国し、音楽活動を再開するのでした。

音楽大学へ留学し、ミュージカルを成功してよりパワーアップするために活動休止したアンジェラ・アキでしたが、より詳しく掘り下げると、ヒット曲を生み出したが故の悩みも抱えていたようです。

まとめ

現在アンジェラ・アキは、主にミュージカルに携わる仕事を行なっています。

留学中に培ったミュージカル音楽を武器に、東京ディズニーシーの新ミュージカルショー

「アウト・オブ・シャドウランド」の楽曲の作詞を担当。

自身のInstagramでは、「ミュージカルという総合芸術を作り上げるには、5〜7年かかることもあり、

今はいくつかのプロジェクトに取り組んでいる」と語っています。

2021年には、地元徳島県にある四国初の夜間中学

「徳島県立しらさぎ中学校」の校歌の作詞・作曲を担当するなど、地元を大切にする活動も行なっています。

また、2021年10月にNHKで放送され、南原清隆が20年ぶりにブラックビスケッツの名曲

「Timing」を披露したことでも話題になった音楽番組『もっと四国音楽祭』にも出演。

この番組では「しらさぎ中学校」に贈った校歌を生徒たちと共に歌い上げ、感動的なステージを披露しました。

ミュージカル音楽作家として複数のプロジェクトに携わり、多忙な日々を送りながら日本でも少しずつ活動しているようです。